核心になつた部分の、移動の道すぢに遺つた落ちこぼれと見るのが、一番ほんとうの考へらしい。内地にあつた古代生活の、現に琉球諸島に保存せられて居るものは、非常に多い。さすれば、此南島にある民間伝承の影が、一度は、我々の祖先の生活の上にも、翳《サ》してゐた事も考へられなくはない。
琉球女は、今も長旅や嫁入りには、香炉を持つて行く。其香炉は神を表して居るものである。大抵は、元の家の仏壇から神棚へ祀り替へられる程、年代を経た先祖の神様と考へられて居る様だ。併し此女の持ちあるく香炉は、大分意味の違うた物の様である。
女の香炉は、母から伝はる。根神《ネカミ》と謂はれて居る祖先神の香炉は、根所《ネドコロ》なる本家にあるばかりで、勝手に数を殖して、持ちあるくことは許されて居ない。此香炉は、女だけの祀る神なのである。男とさへ言へば、子すら、夫すら、拝む事も、お撤《サガ》りを戴く事も禁ぜられてゐる。沖縄本島では、段々意義が忘れられて、仏壇の位牌を持ち出したもの位に考へる人もあるが、其でも尚、此香炉に対する信仰の形は近代化しきつても居ない。八重山の石垣島では、とりわけ此考へが著しく残つて居る。此島では、女の香炉をこんじん[#「こんじん」に傍線](古風には、かんじん[#「かんじん」に傍線]と発音する)と言ふ。祖先かと言へば、祖先でもなく、村の神かと思へば、村の神でもない。唯知れて居るのは、母から娘へ、順ぐりに譲つて行く神だと言ふだけである。恐らく、罔極の世の母から、分け伝へて来た神かと思はれる。亭主にも、息子にも拝ませないで、女ばかりの事《つか》へる神が、沖縄の家庭にはある事になるのである。琉球の神人《カミビト》は悉く女性ではあるが、拝む事は、男も勿論するのである。にも係らず、男の与らぬ神の存在は、どう言ふ事を示してゐるのであらう。
村々の生活を規定する原理なる庶物は、てん/″\に違うて居た。尠くともお互に異なる原動力の下に在るものと考へて居た。かう言ふ時代の村と村との間に、族外結婚が行はれるとすれば、男の村へ連れて来られた女は、かはつた生活様式を、男の家庭へ持ちこむ事になる。ほかの点では妥協しても、信仰がゝつた側の生活は、容易に調子をあはせる訣にはいかなかつたであらう。其に、神とも精霊とも、名をつける事は出来ないでも、根本調子となつてゐる信仰が、一つ家に並び行はれて居る場合、妻の信仰生活は、いつも亭主側からは問題として眺められた訣であらう。事実はそんなにまで、極端ではなかつたらうと思はれるが、其俤を伝へる物語は、この秘密の尊重と言ふ点に、足場を据ゑてゐる。此に、信仰の段々純化せられて来た時代の考へ方を入れて、説明すると訣り易い。
妻が其「本の国」の神に事へる物忌みの期間は、夫にも窺はせない。若し此誓ひを夫が破ると、めをと仲は、即座にこはれてしまふ。見るなと言はれた約束に反いた夫の垣間見が、とんだ破局を導いた話は、子どもが家庭生活をこはした物語同様、数へきれない程にある。
垂仁天皇の皇子ほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]が、出雲国造の娘ひなが媛[#「ひなが媛」に傍線]の許に始めて泊つて、其様子を隙見すると、をろち[#「をろち」に傍線]の姿になつて居たので遁げ出すと、媛の蛇は海原を照して追うて来たとある。此話に出産の悩みをとり込んだのが、海神の娘とよたま媛[#「とよたま媛」に傍線]が八尋鰐或は、龍になつたと言ふ物語である。此まで重く見られた産の為とする考へは、寧、後につき添うた説明である。
おなじ事はいざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]・いざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の離婚の物語にも、言ふ事が出来る。見るなと言はれたのに、見られると、八つ雷《イカヅチ》(雷は古代の考へ方によれば蛇である)が死骸に群つて居た。其を見て遁げ出した夫を執《シフ》ねく追跡したと言ふのも、ひなが媛[#「ひなが媛」に傍線]の話と、ちつとも違うてゐないではないか。死骸を見露して恥を与へたとて、怒つたとするのは、やはり後の説明なのであつた。
此等の話に爬虫が絡つてゐるのは、訣のある事である。異族の村の生活を規定する信仰の当体を、庶物の上に考へたからである。更に其上に、長虫を厭ふ心持ちの影を落したのは、異族の生活を苦々しく眺めがちの心持ちから来たものなのではあるまいか。
後々には、一つ先祖から出た血つゞきの物と見、又祖先の姿を其物にうつして考へ、更に神とまでも向上させる様になつたとも思はれるが、もつとうぶな[#「うぶな」に傍点]形の信仰が、上の物語の陰に見えるではないか。
たとひ、我が古代にとうてむ[#「とうてむ」に傍線]を持つた村々が、此国土の上になかつたとしても、其更に以前の故土の生活に於て、さうした生活原理を持たなかつたとは言へない様である。神の存在を香炉に飜訳して示
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