頭郡)では、島の六月の祭りを「うふあなの拝《ウガン》」と言うて、其頃|恰《あたかも》寄り来る儒艮《ザン》を屠つて、御嶽々々に供へる。其あまりの肉や煮汁は、島の男女がわけ前をうけて喰ふ。島以外の人は、島の中に、儒艮御嶽《ザンオタケ》なる神山があつて、此人魚を祀つてゐると言ふが、島人に聞けばきつと、苦い顔で否定する。さうして昔は、人魚でなく、海亀を使うたと言ふ。併し今こそ儒艮《ザン》が寄らなくなつたので、鱶を代りに用ゐる事にして居るのは事実だが、海亀は現に沢山居るのだから、其来なくなつた代りに使うたものとはうけとれぬ。何にしても、特殊な感情を、此海獣に持つてゐる事だけは明らかである。
又、此島と呼べば聞えさうな辺にある一つの土地では、血縁の深さ浅さを表す語《ことば》に、まじゝゑゝか[#「まじゝゑゝか」に傍線]・ぶつ/″\ゑゝか[#「ぶつ/″\ゑゝか」に傍線]と言ふのがある。ゑゝか[#「ゑゝか」に傍線]は親類、まじゝ[#「まじゝ」に傍線]は赤身、ぶつ/″\[#「ぶつ/″\」に傍線]は白いところ即脂身である。死人の赤身を喰べるのが近い親類で、遠縁の者は、白身を喰ふからだと説明してゐる。
此二つの話に現れた、死人の命を肉親のからだに生かして置かうとする考へと、今一つ、神及び村の人々が共に犠牲を喰ふと言ふ伝承とを結び付けて見て、気のつく事はかうである。
動物祖先を言はぬ津堅の島にも、曾ては儒艮《ザン》に特殊な親しみを持つて居たらしい。其が段々に、一つ先祖から岐れ出て、海獣で先祖の儘の姿で居るといつた骨肉感を抱く様になり、祖先神の祭りに右の人魚を犠牲にして、神と村人との相嘗《アヒナメ》に供へたものであらう。
さう言へば、黒犬の子孫だと悪口せられる宮古島にも、八重山人などに言はせると、犬の御嶽があつて、祖先神として敬うてゐるなどゝ言ふ噂もする。
かうした事実や、考へ方が、当の島々には行はれて居ないかも知れない。だが尠くとも、さうした噂をする、他の島々・地方(ぢかた)の人々の見方には、その由来するところの根が、却つて其人々の心にもあるのである。めい/\の村の古代生活に、引き当てゝ考へてゐるに過ぎないのだ。これを直様、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]のなごりと見なくてもよい。が、話の序に少し、此方面にも、探りだけは入れて置かう。

     八

一体、沖縄の島々は、日本民族の
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