童子丸《ドウジマル》」と云うた。葛の葉姫の親「信太[#(ノ)]荘司」は、安名の居処が知れたので実の葛の葉を連れて、おしかけ嫁に来る。来て見ると、安名は留守で、自分の娘に似た女が布を織つてゐる。安名が会うて見て、話を聞くと、訣らぬ事だらけである。今の女房になつてゐるのが、いかにも怪しい。さう言ふ話を聞いた狐葛の葉は、障子に歌を書き置いて、逃げて了ふ。名高い歌で、訣つた様な訣らぬ様な
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恋しくば、たづね来て見よ。和泉なる信太の森の うらみ葛の葉
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なんだか弖爾波のあはぬ、よく世間にある狐の筆蹟とひとつで、如何にも狐らしい歌である。其後、あまりに童子丸が慕ふので、信太の森へ安名が連れてゆくと、葛の葉が出て来て、其子に姿を見せるといふ筋である。
狐子別れは、近松の「百合若大臣野守鏡」を模写したとせられてゐるが、近松こそ却つて、信太妻の説経あたりの影響を受けたと思ふ。近松の影響と言へば「三十三間堂棟木[#(ノ)]由来」などが、それであらう。出雲の外にも、此すこし前に紀[#(ノ)]海音が同じ題材を扱つて「信太[#(ノ)]森|女占《ヲンナウラカタ》」といふ浄瑠璃を拵へて居る。此方は、さう大した影響はなかつた様である。
信太妻伝説は「大内鑑」が出ると共に、ぴつたり固定して、それ以後語られる話は、伝説の戯曲化せられた大内鑑を基礎にしてゐるのである。其以外に、違つた形で伝へられてゐた信太妻伝説の古い形は、皆一つの異伝に繰り込まれることになる。言ふまでもなく、伝説の流動性の豊かなことは、少しもぢつとして居らず、時を経てだん/″\伸びて行く。しかも何処か似よりの話は、其似た点からとり込まれる。併合は自由自在にして行くが、自分たちの興味に関係のないものは、何時かふり落してしまふといつた風にして、多趣多様に変化して行く。
さう言ふ風に流動して行つた伝説が、ある時にある脚色を取り入れて、戯曲なり小説なりが纏まると、其が其伝説の定本と考へられることになる。また、世間の人の其伝説に関する知識も限界をつけられたことになる。其作物が世に行はれゝば行はれるだけ、其勢力が伝説を規定することになつて来る。長い日本の小説史を顧ると、伝説を固定させた創作が、だん/″\くづされて伝説化していつた事実は、ざらにあることだ。
大内鑑の今一つ前の創作物にあたつて見ると、角太夫
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