、此子に後を継がせよう、とまで考へてゐた。ある日、一人の僧が杖を持つて現れて、良藤の背中を叩いた。其女は其と見るや、逃げて了うた。良藤は、自分の家の倉の床下、普通なら這入れさうもない処に居たのである。女は勿論狐であつた。這ひ出して来た良藤は、真青になつて居た。良藤の見えなくなつてから、家人は大騒ぎして、坊さんを招いて祈祷した功徳で助かつたのである。
こゝらに来ると、葛の葉との縁は、大分遠くなつたが、狐の人事関係は、よほど緻密になつた筈である。大祓の祝詞の国つ罪を見ても、祖先の中には、恥しながら、色々な動物を性欲の対象に利用した事実のあつた事が推察出来る。併し、狐の様な馴れにくい獣を犯す事が、ありさうには思はれない。猪との性関係の話が、今昔物語に見えたりするのは、猪の馴れた豚を対象にした事実から逆説出来るかも知れぬが、狐の如きは到底考へに能はぬ所だ。だから、一切獣の子孫・獣の変化《ヘンゲ》との恋愛譚は、皆人間の性欲関係からきり放して、考へねばなるまいと思ふ。
良藤の事は、今昔物語にも出て居るから「狐の双紙」は其敷き写しとも思はれるが、だまされ手を坊さんにしたのは、合点がゆかない。起りは、何処にあらうとも、一先《ひとまづ》民間の話になつてゐたものを、やゝ潤色して書いたのだらうと思ふ。
狐と人間との関係は、もつと溯つて言ふ事が出来る。平安朝の極の初め、嵯峨天皇の時に出来たものだが、内容は殆ど奈良朝気分を持つて、奈良以前の伝説を書いて置いた日本霊異記の中に、美濃の国の狐[#(ノ)]直《アタヘ》(又、美濃狐)と言ふ家に関した伝説が載つてゐる。欽明天皇の御代、其家の祖先なる男が、途中で遇うた美しい女を連れ戻つて、夫婦になつた。其女が、子どもを産んだ。其子の産と殆ど同時に、其家の犬が亦産をした。其犬の子が、翌年の春、庭を歩いて居る其女房に咬みついた。驚いた余りに、元の姿を顕して、垣に逃げのぼつて、家を出て行かうとした。夫がなごりを惜しんで、此からも毎夜「来つゝ寝よ」と言ふと、夜は来ることになつた。それで子の名を「きつね」其獣の名も「きつね」といふ様になつたとある。此子、力は人に優れて居たのみか、其四代目の孫女に、馳ける事極めて捷く、力逞しい女が出て居る。
此「狐[#(ノ)]直《アタヘ》」まで溯れば、まづ日本に於ける狐と人との交渉の輪郭は話し得たことになる。
六
日本
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