岩と、灌木の青葉と、風に断《キ》れ/\になつて、木の間に動く日の光りとが、既に、夕陽《ユフカゲ》を催してゐた。日がちり/″\に縮まつて、波も沈んだ色に見え出す頃、金白礁《カナシロセ》の薄雪のかゝつた様な岩肌が、かつきりと、目の前に浮んで来た。他国《タビ》から来た人と見て、慇懃に、さつきから色々な話を持ちかけて来る六十恰好の夏外套着た紳士は、白い髭を片手間にしごいてゐる。此金白礁といふ岩は、壱州の廻りに幾つもある。海の中につき出た黒い岩などが、頭から三盆白でもふりかけた様になつてゐる。
『湯[#(ノ)]本温泉の沖にあるのが、一番見事なので、此を「雪の島」と言うてゐます。昔の本には、壱岐の事を「ゆき」と書いてあるさうです。箱崎の神主の祖先の調べた、壱岐続風土記と言ふ書物は御覧か。村々の役場や、好事家が借り出したきり返さず、其あとの家にも、欠本のまゝになつてゐます。なに、東京の内閣文庫で、完本を見た。なる程、向うにもあることはあるさうです。が、地理に関した点ばかりの極《ゴク》の抄《ヌ》き書きで、役には立たぬ本だと、島から東京へ調べに行つたものが申しました。
郡役所の手で一つにとり寄せたら、と仰言るか。尊卑を弁へて、礼儀正しいわりには、自由思想がありましてね。昔から、町人なら町人、百姓・漁師なら百姓・漁師で、其仲間中の礼儀を守つて居りますし、其腰の低さ、語の柔かさ、とてもよそ外《ホカ》には見られますまい。此は、当国へ渡つた流され人が、大抵身分のよい、罪状も悪くなかつたもので、上方の長袖、殊に、房主が多かつたものですから、其感化です。寺に住みついたのもあり、村方に預けられたのもありますが、島の人の教育は、大抵、流人がしてくれたのです。旧《モト》からもわりあひに、純良な住民ではあつた様です。
九州や中国の大名の一族の逃げこんで来たのもあります。そんなのがあちこちの小高い場処に御館所《オタチシヨ》を開いて、館《タチ》を構へ、配下の者を支配してゐました。其外、唯のより百姓があり、町人があり、海部《アマ》がありしますが、一触《ヒトフレ》・一字の親しみは、非常なものです。御館の下の村でも、御館の主の外は、平等であつた。まして、其以外の階級では、誰が上の下のと言ふ区別は、あまりなかつたのです。士分の制度もありましたが、此は旧郷士を平戸藩で認めて、とり立てたのです。其が後々には、藩の財政か
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