しく、五説経其他の古い説経よりも「三度の礼拝浅からず」など言ふ句をくり返して、正式に説経らしい形を存してゐる。昔は、いちじよ[#「いちじよ」に傍線]の唱へる説経がもつとあつた様だが、今では残つてもゐないし、いちじよ[#「いちじよ」に傍線]自身も知らない。
此外に、志原の翁は「寅童丸」と言ふ説経らしいものを諳誦して、伝へて居る。伝来は不明であるが、十二段草子系統の稍進んだ形で、古浄瑠璃小栗判官などにも似てゐるけれど、其よりは古めかしい。文の段・忍びの段・百人斬りの段などを、誦み上げるやうにして、聞かしてくれた。百人斬りは、かなりしつかりとして、力ある上に、笑はせる様な文句も這入つてゐる。此も、或はさうした系統の物かと思ふが、訣らない。
忍びの段は、屋敷・庭の叙景など細やかに、古風な姿を見せてゐるが、姫の枕元に行つてからの動作が優美でない。姫の髪の毛を分けて手に捲いて、此を琴の様に弾いて、姫を怒らせる様な事を言うたり、かたらひを遂げる処なども子供らしくて、鄙びた譬喩を使うたりしてゐる処などは、説経の改刪の径路を思はせる。
書かれた根本[#「根本」に傍線]を語る中に、色々な入れ語《コト》を交へて来たのが、又書きとられて根本[#「根本」に傍線]の異本が出来て来る。さうした物を、比老人も読んで覚えたものらしい。此上は幾ら尋ねても、根本[#「根本」に傍線]の有無、口伝か書物からの記憶か、そんな事も、話を外して言うてはくれなかつた。寅童丸の語り物を知つたのは、島中に、此人一人だから、大切にする考へなのであらう。まさか、若い時分に、今は故人のいちじよ[#「いちじよ」に傍線]の一人から深秘の約束で教へられた、と言ふやうなものでゞもあるまい。
浄瑠璃史家は、十二段草子の前に「やすだ物語」と言ふ因幡薬師の縁起を説いたものが、今一つあつて、其が浄瑠璃の最初だらうと言ふ。併し、説経は長い伝統ある物で、安居院《アグヰ》の「神道集」なども、説経の古い形のもので、語つたものに相違なく、やはり一つの浄瑠璃であつたのだ。浄瑠璃節が固定するまでには、其系統の物語は段々あつたと見てよからう。舞の詞なども、唱門師の手にあつたものだから、浄瑠璃化せぬ訣はない。
浄瑠璃は恐らく元、女の語るもので、曾我物語などの様に、瞽女が語つたものであらう。其に仏教の唱導的意義が加つて居ない間は、まだ浄瑠璃の定義に入らないのだ
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