つたらうが、ともかく、女の重要行事であつた事だけは認められるであらう。
二 雛人形と女神と
此までの学者の説明では、其時に穢れを移して、水に流す筈の紙人形が流されずに、子供・女の玩び物になつたのが、雛祭りの雛だ、といふことになつてゐる様である。穢れを移す人形とは即、撫《ナ》で物《モノ》・形代《カタシロ》・天児《アマガツ》などの名によつて呼ばれるものである。なる程、かう説明すると、上巳の節供と雛人形との関係、延いては淡島との聯絡もつかう。が、も少し考へて見る必要がないであらうか。
従来の我が国の好事家肌の学者の研究では、人形の歴史といふものが、比較的、時代の新しい処に限られてゐる様である。殆ど此撫で物[#「撫で物」に傍線]位が人形の起原をなすもの位に考へられてゐるが、なか/\そんな短い歴史ではかたづけられないのである。
もとはやはり、信仰上の対象として、生れたものに違ひはないが、祭りの中心行事に人形の与ることは、平安朝あたりから近世までは証拠がある。こんな人形は主に、さいのを[#「さいのを」に傍線]又はせいのう[#「せいのう」に傍線]と呼ばれてゐた。此を直に御神体と見立てた
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