禊ぎは、出雲風土記の記述によると、わりに古い型を守つてゐたものと見てよい。さうして尠くとも、此にはあつて、宮廷の行事及び呪詞にない一つは、みぬま[#「みぬま」に傍線]に絡んだ部分である。大祓詞及び節折《ヨヲ》りの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでゐたのかも知れない。だが、大祓詞は放つ方ばかりを扱うた事を示してゐる。禊ぎに関して発生した神々を説く段があつて、其後新しい生活を祝福する詞を述べたに違ひない。そして大直日の祭りと其祝詞とが神楽化し、祭文化し、祭文化する以前には、みぬま[#「みぬま」に傍線]と言ふ名も出て来たかも知れない。

     三 出雲びとのみぬは[#「みぬは」に傍線]

神賀詞を唱へた国造の国の出雲では、みぬま[#「みぬま」に傍線]の神名である事を知つてもゐた。みぬは[#「みぬは」に傍線]としてゞある。風土記には、二社を登録してゐる。二つながら、現に国造の居る杵築にあつたのである。でも、みぬま[#「みぬま」に傍線]となると、わからなくなつた呪詞・叙事詩の上の名辞としか感ぜられなかつたのであらう。
水沼の字は、おなじ風土記仁多郡の一章に二とこまで出てゐる。
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