言ふ語が「水葉」の用法を自由にしてゐる。動物・人間ともとれる言ひ方である。唯さうすれば、みつは[#「みつは」に傍線]云々の句に、呪詞なり叙事詩なりの知識が、予約せられてゐると見ねばならぬ。其にしても、此表記法では、既に固定して、記録時代の理会が加つてゐるものと言へよう。
此二つの詞章の間に通じてゐる、一つの事実だけは、やつと知れる。其は此語が禊ぎに関聯したものなることである。みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]と言ひ、其若い様に、若くなると言つた考へ方を持つてゐたらしいとも言へる。古代の禊ぎの方式には、重大な条件であつた事で、夙く行はれなくなつた部分があつたのだ。詞章は変改を重ねながら、固定を合理化してゆく。みつは[#「みつは」に傍線]・みぬま[#「みぬま」に傍線]と若やぐ霊力とを、色々な形にくみ合せて解釈して来る。其が、詞章の形を歪ませて了ふ。
宮廷の大祓式は、あまりにも水との縁が離れ過ぎてゐた。祝詞の効果を拡張し過ぎて、空文を唱へた傾きが多い。一方又、神祇官の卜部を媒にして、陰陽道は、知らず悟らぬ中に、古式を飜案して行つて居た。出雲国造の奏寿の為に上京する際の禊ぎは、出雲風土記の記述によると、わりに古い型を守つてゐたものと見てよい。さうして尠くとも、此にはあつて、宮廷の行事及び呪詞にない一つは、みぬま[#「みぬま」に傍線]に絡んだ部分である。大祓詞及び節折《ヨヲ》りの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでゐたのかも知れない。だが、大祓詞は放つ方ばかりを扱うた事を示してゐる。禊ぎに関して発生した神々を説く段があつて、其後新しい生活を祝福する詞を述べたに違ひない。そして大直日の祭りと其祝詞とが神楽化し、祭文化し、祭文化する以前には、みぬま[#「みぬま」に傍線]と言ふ名も出て来たかも知れない。
三 出雲びとのみぬは[#「みぬは」に傍線]
神賀詞を唱へた国造の国の出雲では、みぬま[#「みぬま」に傍線]の神名である事を知つてもゐた。みぬは[#「みぬは」に傍線]としてゞある。風土記には、二社を登録してゐる。二つながら、現に国造の居る杵築にあつたのである。でも、みぬま[#「みぬま」に傍線]となると、わからなくなつた呪詞・叙事詩の上の名辞としか感ぜられなかつたのであらう。
水沼の字は、おなじ風土記仁多郡の一章に二とこまで出てゐる。
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