マイデ(?)テ》、御身|沐浴《ソヽ》ぎ坐《マ》しき。故《かれ》、国造の神吉事《カムヨゴト》奏《まお》して朝廷《みかど》に参向《まいむか》ふ時、其水沼|出而《イデヽ》用ゐ初むるなり。
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出雲風土記考証の著者後藤さんは、やはり汲出説である。この条は、この本のあちこちに散らばったあぢすき神[#「あぢすき神」に傍線]の事蹟と、一続きの呪詞的叙事詩であったようだ。おそらく、国造代替りまたは、毎年の禊ぎを行う時に唱えたものであろうと思う。禊ぎの習慣の由来として、みぬま[#「みぬま」に傍線]の出現を言う条《くだり》があり、実際にも、みぬま[#「みぬま」に傍線]がはたらいたものと見られる。だが、その詞は、神賀詞とは別の物で、あぢすき神[#「あぢすき神」に傍線]と禊ぎとの関係を説く呪詞だったのである。その詞章が、断篇式に神賀詞にもはいっていって、みぬま[#「みぬま」に傍線]および関係深い白鳥の生き御調《みつき》がわり込んできたものであるらしい。
水沼間・水沼・弥努波(または、婆)と三様に、出雲文献に出ているから、「水汲」と訂《ただ》すのは考えものである。後世の考えから直されね
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