のりと詞《ゴト》をもて宣《ノ》れ。かくのらば、……」――朝日の照るまで天つ祝詞の……と続くのでない。祝詞の発想の癖から言うと、ここで中止して、秘密の天つのりと[#「天つのりと」に傍線]に移るのである。この天つ祝詞にそうした産湯のことが含まれていたらしいことは、反正天皇の産湯の旧事に、丹比《タヂヒ》[#(ノ)]色鳴《シコメ》[#(ノ)]宿禰が天神寿詞を奏したと伝えている。貴種の出現は、出産も、登極《とうきょく》も一つであった。産湯を語り、飲食を語る天神寿詞が、代々の壬生部の選民から、中臣神主の手に委ねられていって、そうした部分が脱落していったものらしい。
 けれども中臣が奏する寿詞にも、そうしたみふ[#「みふ」に傍線]類似の者の顕れたことは、天子の祓えなる節折《よお》りに、由来不明の中臣女《ナカトミメ》の奉仕したことからも察しられる。中臣天神寿詞と、天子祓えの聖水すなわち産湯とが、古くはさらに緊密に繋《つなが》っていて、それに仕えるにふ神[#「にふ神」に傍線]役をした巫女であったと考えることは、見当違いではないらしい。丹比《タヂヒ》氏の伝えや、それから出たらしい日本紀の反正天皇御産の記事
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