場合もあった。まず七処女が古く、八処女がそれに替って勢力を得た。これは、神あそび[#「神あそび」に傍線]の舞人の数が、支那式の「※[#「にんべん+(八/月)」、第3水準1−14−20]《イツ》」を単位とする風に、もっとも叶うものと考えられだしたからだ。ただの神女群遊には、七処女を言い、遊舞《アソビ》には八処女を多く用いる。現に、八処女の出処《でどころ》比沼山にすら、真名井の水を浴びたのは、七処女としている。だから、七《ナヽ》――古くは八処女の八も――が、正確に七の数詞と定まるまでには、不定多数を言い、次には、多数詞と序数詞との二用語例を生じ、ついに、常の数詞と定まった。この間に、伝承の上の矛盾ができたのである。
神女群の全体あるいは一部を意味するものとして、七処女の語が用いられ、四人でも五人でも、言うことができたのだ。その論法から、八処女も古くは、実数は自由であった。その神女群のうち、もっとも高位にいる一人がえ[#「え」に傍線](兄)で、その余はひっくるめておと[#「おと」に傍線](弟)と言うた。古事記はすでに「弟」の時代用語例に囚《とら》われて、矛盾を重ねている。兄に対して大《オホ》あるごとく、弟に対して稚《ワカ》を用いて、次位の高級神女を示す風から見れば、弟にも多数と次位の一人とを使いわけたのだ。すなわち神女の、とりわけ神に近づく者を二人と定め、その中で副位のをおと[#「おと」に傍線]と言うようになったのである。
こうした神女が、一群として宮廷に入ったのが、丹波道主貴の家の女であった。この七処女は、何のために召されたか。言うまでもなくみづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]を解き奉るためである。だが、紐と言えば、すぐ聯想せられるのは、性的生活である。先達諸家の解説にも、この先入が主となって、古代生活の大切な一面を見落されてしもうた。事は、一続きの事実であった。「ひも」の神秘をとり扱う神女は、条件的に「神の嫁」の資格を持たねばならなかったのである。みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]を解くことがただちに、紐主にまかれることではない。一番親しく、神の身に近づく聖職に備《そなわ》るのは、最高の神女である。しかも尊体の深い秘密に触れる役目である。みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]を解き、また結ぶ神事があったのである。
七処女の真名井の天女・八処女の系統の
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