つて、其を伝つて火が走つて来る為掛けだつたのだらう。其将校、剣をあげて、「突貫」と言つたらしい。其瞬間、しゆつと来た火が、その額のあたりで炸裂する。「やられた」と言つたか、まさか、此時分「万歳」とは言つて落ち入らなかつたと思ふ。立ち身のまゝで幕になるきづかひ[#「きづかひ」に傍点]はないのだが、私の記憶は、其できれてゐる。此が松崎大尉であつて、土地は牙山城外である。演ずる所の優人は、中村鴈治郎であつた。数へて見ると、此が私の八歳の時である。此位にしか覚えてゐないのが、寧、当りまへであらう。此前にも、芝居へは連れて行つてくれてゐるやうに、家人は言つて居たが、何分にも、此外には古い舞台の印象がない。性格としては、仁左衛門の方が、私などには向いてゐる。その舞台も事実、早期において深くなじみを感じてゐる。にも繋らず、壮年の後、鴈治郎の芸に、心をひかれることの多かつたのは、何によるのだらう。考へればいろ/\縁由らしいものはある。だが何としても、芝居最初の遭遇に見たと言ふことが、さうしたすべての上に、圧するほどの力を持つてゐるのだと思ふ。おもしろをかしくもない戦争芝居、其に後年、此舞台などが導きになつて、身たけに合はぬ新しい着物を着たがるやうになつてた役者、此が私の最初の印象だとすれば、私の劇に対する理会なども、凡、思ひ見ることが出来る。だが其も此もどうなるものであらう。
底本:「日本の名随筆 別巻10 芝居」作品社
1991(平成3)年12月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第4刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第一八巻」中央公論社
1967(昭和42)年4月発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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