ないことは事実である。唯、非常に早く岐れたものである。我々の先輩同人の考へて居る様に、日本と文法組織が極点まで一致してゐるにしても、様式に差のあることだけは、認めなくてはならぬ。我々の古代・中世の文法組織と異つてゐるものも多いのは、文献時代前に分派して居たからである。だが、ある種の文法や造語法は、全然一致してゐる。日本の文献にも、国語学関係の材料として特殊なものは、さう多くない。其で、日本の国語の為、殊に、古代文法を研究する為には、沖縄語は大事である。これを補助として、俤でも残つてゐる古代国語とつきあはせて、相俟つて一宗形を還元して見るより仕方がない。さうして見ようとすることが、色々な効果を予期させる。其一部の為事として、古い熟語法をも見ようとするのである。
日本の古語と近代の朝鮮語との対比を以てする日鮮語同祖の研究は、他の語族の事より見ても考へられない事だと、金沢博士の説を排撃する学者も多い。併し、其は言ふものが間違つてゐる。民間伝承としての特質を言語の上に考へることの出来ない常識論が、さう導いてゐるのである。言葉の伝承といふ事実は、或点まで、時間空間を超越する力を考へなければならな
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