文法学者の挙げる例は、古代と近代とを混合する。其為、実例なのか、其とも譬喩として使つてゐるのか、訣らない物がある。それで、私は近世の例を避けて言ふ。例へば、鎮魂歌をたまふり[#「たまふり」に傍線]の歌と言ふ。国々に於ける鎮魂歌は、くにぶり[#「くにぶり」に傍線]と言うて現れた。後には段々本義を忘れて、所謂風俗歌の感じになつて来る。くにぶり[#「くにぶり」に傍線]が、国のたまふり[#「たまふり」に傍線]の歌といふ意味を持つ迄には、大分な時間を経て、人の頭に熟して来なければならない筈である。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]も其と同じ訣なのである。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]とだけ言つて、今の冬の感じが出て来る訣ではない。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふ言葉を持つた印象深い事実があつて、其からふゆ[#「ふゆ」に傍線]といふ単純化せられた言葉が出来、初めて我々にぴつたり訣つて来るのである。熟語の形をとる場合は、其が割合はつきりして居る。みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]は魂を分割する式の事で、語形としては割に不安がない。後に御蔭を蒙るといふ意味になつて来る。語根と言ふものが段々用言状になつて行くにして
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