古代もやはり今の様に、熟語をつくる修飾語が主部の上に乗りかゝつて居るといふ風に、専《もつぱら》考へられさうである。事実さういふ例も沢山ある。ところが、今一段考へを進めて見ると、古代には、修飾の職分をとる語根が、主部より下に据ゑられた事実が沢山あつたのである。却て、其方が、正式であつたらうと思はれる位である。我々の口頭文章の基礎としての国語は、かうした時代を過ぎて記録せられて来たのであつて、さうした前代の熟語法の痕跡が、文献時代に残つて居つたのである。例へば、梯をはしだて[#「はしだて」に傍線]と言うてゐる。播磨風土記を見ると、俵を積み上げて天に昇る梯を作つた時に、梯のことを立[#レ]橋と書いてゐる。橋は梯である。我々の知つて居る限りでは、はし[#「はし」に傍線]と言へば水平に懸つてゐる橋ばかりを考へるが、昔は渡る或は渡すと言ふ様な場合、即、此方から彼方へと二つの場所を繋ぐものは総てはし[#「はし」に傍線]で、垂直的のものをもはし[#「はし」に傍線]と言うたのである。其を立[#レ]橋と言ひ、これを名詞とした場合にははしだて[#「はしだて」に傍線]と言つて居る。此を我々の文法意識から言へば
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