て居るのは、必、意味がある。「食国《ヲスクニ》の政」を預る者は、天上の食料を地上にも作り出して、天神に献る事務を執らしめられるのである。其為事に失敗したのが、すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]であつた。
此農作物の魂を所置する法を知られなかつたのだ。其で黄泉を治める事になつたものと、古伝誦の順序を換へて見るべきだらう。天つ罪が此神の犯した神の供物荒しの罪を数へ立てゝ居るのにも、理由あつての聯絡であつたのである。
穀物の魂を、御母神《ミオヤガミ》の魂に添へた理由は、同時に、内宮に外宮を配した所以でもある。外宮は皇太神宮の※[#「广+寺」、341−5]《カムダチ》の神として出発した信仰と見ることも出来る。又さうした理会の上に、古文献も、此農神の事を叙述してゐる。而も此神は、田畠の神であると共に、酒の神であり、家の神でもある。大殿祭祝詞註の所謂、室清めの産飯《サバ》説も、葺草壁代の霊とする説も、尚合理臭い。此神の子として、若室|葛根《ツナネ》[#(ノ)]神(記)の名を伝へて居るのは、寧、御饌神《ミケツカミ》即厨の神[#「厨の神」に傍線]とする説の方がよい。併し、外宮の場合の旧説と一つに
前へ
次へ
全25ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング