、神遊《カムアソビ》詞章の特殊化であつた。私などは、海部が其豊富な海の幸と、広い生活地を占めてゐる為の発展力を、何処までも伸して、神遊びまでも、平安朝に到つて自家のものを推し出して来たが、元は、「山神楽」が重要なものだつたと思ふ。「採物」を見ても、殆《ほとんど》山及び山人、山の水に関係ある物ではないか。
あまりに物を対比的に見ることは、誤つたしうち[#「しうち」に傍点]に違ひないが、私は後世式にかう言はう。海部《アマ》の浄瑠璃、山部の小唄。即前者は、平安期の末まで、長い叙事詩を持ち歩き、後者は早く奈良朝又は其前にすら短歌を盛んに携行したものと見られるのである。たとへば、山部宿禰赤人、高市連黒人、皆山ノ部に関係深い人々である。柿本ノ朝臣人麻呂にしてからが、倭の和邇氏の分派であり、其本貫、其同族を参考にしても、山に関係が深いのである。かう言ふ見方は、必しも正確を保する事は出来ない。が、一応は考へに置いて見る必要がある。

      ひと言

私の言ふべき事は、単に緒についたまでゞある。此等の海及び山の流離民《ウカレビト》が、国中を漂遊して、叙事詩、抒情詩を撒布して歩いた形から、其が諸国に
前へ 次へ
全38ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング