ほかひ」を携へて「ほかひ」して歩いた「ほかひゞと」の有力な残存者であつた訣である。「ほかひ」に宛てるに行器の字を以てし、又普通人の旅行にも、之が模造品を持ち歩いた処を見ても、如何に神人の游行の著しかつたかゞ察せられる訣だ。而も此「巡伶」の人々が、悉くほかひ[#「ほかひ」に傍線]なる行器を持つて居た訣でもなからうし、同じく「ほかひゞと」と言はれる人々の間にも、別殊の神の容器を持つた者のある事が考へられる。つまり、何種類とも知れぬ、「ほきと」「ほかひゞと」が、古くは国家確立前から、新しくは中世武家の初中期までも、鮮やかな形において、一種唱導の旅を続けて居たのである。さうした団体が、五百年、千年の間に、さしたる変化もあつたらしくないやうに、内容の各方面も、時代の影響は濃厚に受ける部分はありながら、又一方殆罔極の過去の生活を保存して居た事も、思はねばならないのである。

      ことほぎ

神座を持つて廻つて、遂に神楽と言ふ一派の呪術芸能を開いたものでも、亦「ほかひ」である点では一つであつた。唯大倭宮廷に古くあつた鎮魂術《タマフリ》の形式上の制約に入つて、舞踏を主として、反閇の効果を挙げようとしたのが、かぐら[#「かぐら」に傍線]であり、「言《イ》ひ立《タ》て」によつて、精霊を屈服させようとする事と、精霊が「言ひ立て」をして、服従を誓ふのと、此二つの形を一つにごつた[#「ごつた」に傍点]にして持つものが、「ほかひ」であつたとは言へる。さうして、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の中、所作《フルマヒ》を主としたものが「ことほぎ」であつた。凡、「ほかひ」と謂はれるもの、此部類に入らないものはない。つまり純乎たる命令者もなく、突然な服従と謂つたものもない訣で、両方の要素を持つた精霊の代表者の様な者を、常に考へて居たのである。だから、宮廷、社会の為に、精霊を圧へに来ることは、常世の賓客の様でありながら、実に其地方の地主《ヂシユ》なる神及び、その眷属なる事が多い。私は、神楽・東遊などに条件的に数へられてゐた陪従《ベイジユウ》――加陪従もある――などは、伴神即、眷属の意義だと信じてゐるのだ。此等の地主神――客神《カウジン》・摩陀羅神・羅刹神・伽藍神なども言ふ――は、踏歌|節会《セチヱ》の「ことほぎ」と等しい意味の者で、怪奇な異装をして、笑ふに堪へた口状を陳べる。殊に尾籠《ヲコ》な哄笑を目
前へ 次へ
全19ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング