流布本新古今に対する穏岐本関係と同様、隠岐本の中から、遠島抄を独立させて考へて見る事が、大切である。隠岐本からは、新古今集選者個人の態度・標準・鑑識などが大体窺はれる。其処から、ある選者の批評家としての態度の由来する所なる、作者としての傾向・内生活を、もつとよく知ることが出来る。今一つ、時代全体の理想・主義・趣向が見られる様なこともある。
遠島抄では、後鳥羽院の、わりに拘束のない鑑賞が窺はれる。しかも隠岐本全体と比較して行くと、態度の遷移は、ある点まで現れて来る。かうした遠島抄と、定家撰進の新勅撰集とを比べて見ると、おなじ新古今集を出て、どういふ道筋を通つて岐れて行つたかゞ考へられる。定家は、後に新古今の技巧をある点まで超脱する事が出来たのか、其とも以前は、時流を逐うて其を顕さなかつたのか、此はどちらも見られる。拾遺愚草を見ると、無技巧に近い物や、平俗に陥つたものが、年齢に関係なく交つてゐる。だが、新勅撰は言ふまでもなく、為家以後の二条伝統は勿論、冷泉派の、等しく標準としてゐるのは、定家晩年の歌風である。そして其が、後世堂上派の無感激な物に移つて行つたのを考へ合せると、定家は可なり変化
前へ 次へ
全76ページ中73ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング