ずである。謂はゞ、垂直的に我等の生活を引き上げて行く、と言つた態度の文学が、現れなければならない。従来の文学論や審美学は、壮大な美を空想して来た。而も、彼等は個性以外に、境涯と伝統とが、壮美を表す要件である事を考へ落してゐる。至尊族の太み[#「太み」に傍線]の文学が、其適例である事などは、勿論顧みられてはゐない。
やまとたける[#「やまとたける」に傍線]或は、大国主・大鷦鷯《オホサヾキ》天皇・大長谷稚武《オホハツセワカタケル》天皇に仮託した文学は、所謂美的生活に徹した寂しさ、英雄のみが痛感する幽《かそ》けさを表してゐた。私は、此院がかうした無碍光明の無期《ムゴ》の寂寥の土に、たけび[#「たけび」に傍線]をあげられずにしまうた事を残念に思ふ。
やまと心[#「やまと心」に傍線]の内容も、平安王朝では既に、変化し過ぎて居た。此君子理想の素質は、実にいろ好み[#「いろ好み」に傍線]と同一内容を持つて居た。而も、女房から隠者へとおし移つた、文壇の中心潮流は、此意と嫉みと、失恋《フルサレ》とを、どう整理して行くかといふ事を、主題としてゐた。而も、隠者の文学は、常に社会に対して、優越感を持つてゐた。
前へ
次へ
全76ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング