合せの、刺戟となつた点だけから見れば、在り来りの聯句・闘詩起原説は、手を携へて見る事が出来る。だが、平安初期の貴族・学者の流行させた詩合せや、聯句からばかり発生した、と唱へる常識説は、どうあつても、承認が出来ない。
歌合せの異式とも見える「前栽《センザイ》合せ」は、消息の歌文を結ぶ木草の枝の風流から出て居る。歌合せは整理せられて、宴遊の形をとつた。だがよく見ると、厳かな神事から出た俤を止めてゐる。つけあひ[#「つけあひ」に傍線]は、連歌誹諧を形づくつて行つた。此側には、機智と、低い笑ひとが、宿命的にくつゝいて居た。賦物《フシモノ》の如き、無意義な制約の守られて居たのも、出発点がさうだからである。
だが、此二つは、発生点は一つであり、分化の過程にも、互ひに深く影響し合うて来た。歌垣と、歌垣以前からあつた神・人問答の信仰様式から出た種子が、灌木や、栽ゑ草の花と、其に寄せた歌との調和をめど[#「めど」に傍点]にしたものであつて、歌合せの興隆にさのみ遅れた流行ではない。其が更に、後の貝合せ・艶書合せと称する「恋歌合せ」に移つて行つた痕まで、一筋に通つてゐる。
かうして見ると、詩合せから受けた影
前へ 次へ
全76ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング