[#「はら」に傍線]薄い感じはするが、至尊種姓らしい格《ガラ》の大きさは、十分に出てゐる。
此院などが、至尊風の歌と、堂上風――女房・公卿の作風から出る概念――の歌とを、極端に一致させられた方だと思はれる。此王朝末から移るゆきあひ[#「ゆきあひ」に傍点]の頃だけ見ても、皇室ぶりの歌は、公卿の歌風とは違うてゐる。個々の作品に就てゞはなく、主題となつてゐるものが別なのだ。此は、精神的伝承もあり、境涯から来る心構への相違からも来ようが、概して内容の単純な、没技巧の物で、生活から来る内律の緩やかな、曲折の乏しいものであつた。崇徳院あたりから、おほまかな中に、技巧の公卿ぶりが、著しくなつて居る。典侍相当の女房の手を経た昔の宣旨様の手順で、口ずさみ[#「口ずさみ」に傍点]のまゝで示された御製が、後々推敲をせられる様になり、文芸作品としての意味で、度々臣下の目にも触れる。
かうした傾向は、王朝初期百年の終り頃から見えて来て、臣下から、歌を教授する風も、出来たのだらう。歌式が段々力を持つて来るに連れて、至上の為、或は皇子の為の歌式・歌論・標準歌集などが出来る。私は、伊勢・貫之などに代表させて、御製相談
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