流布本新古今に対する穏岐本関係と同様、隠岐本の中から、遠島抄を独立させて考へて見る事が、大切である。隠岐本からは、新古今集選者個人の態度・標準・鑑識などが大体窺はれる。其処から、ある選者の批評家としての態度の由来する所なる、作者としての傾向・内生活を、もつとよく知ることが出来る。今一つ、時代全体の理想・主義・趣向が見られる様なこともある。
遠島抄では、後鳥羽院の、わりに拘束のない鑑賞が窺はれる。しかも隠岐本全体と比較して行くと、態度の遷移は、ある点まで現れて来る。かうした遠島抄と、定家撰進の新勅撰集とを比べて見ると、おなじ新古今集を出て、どういふ道筋を通つて岐れて行つたかゞ考へられる。定家は、後に新古今の技巧をある点まで超脱する事が出来たのか、其とも以前は、時流を逐うて其を顕さなかつたのか、此はどちらも見られる。拾遺愚草を見ると、無技巧に近い物や、平俗に陥つたものが、年齢に関係なく交つてゐる。だが、新勅撰は言ふまでもなく、為家以後の二条伝統は勿論、冷泉派の、等しく標準としてゐるのは、定家晩年の歌風である。そして其が、後世堂上派の無感激な物に移つて行つたのを考へ合せると、定家は可なり変化したのである。其は、彼の教へを受ける様になつた新興階級の武家の知識・素養の劣つた理会・発想に相応する様に努めた所からも来たであらう。ともかくも、王朝末に起つた基俊以来の平俗主義に戻つたのは事実である。
遠島抄の態度を見るには、棄てられた歌や、切り込まれた歌の側から、はひつて行けばよい。まづ、伝説的に名高い歌、或は一世に騒がれたなどいふ物に向つて、よほど批評が解放せられて来てゐる。次に、ある主義や傾向に隠れて、何でもなくて、過当に評価せられて来た物や、空虚な内容を、おほまかに見える無感激な調子で表したものなどが、却けられて来た。平俗なあてこみや、弛んだ調子などが、明らかな截り出しの標準になつてゐる。
院にとつては、技巧は全生命であつた。技巧の動力たるしらべ[#「しらべ」に傍線]が、歌の全体であつた。遠島抄になつても、さうした方面に異色を持つ物は、出来る限り保存せられた様である。其に、新古今時代から著しく見えた傾向は、古典的な興味の、薄くなつてゐる事である。小唄式の技巧や、音律などがとり込まれたことは、既に述べた。枕詞・序歌は、必しも喜ばれず、本歌も、技巧の本流ではなくなりはじめて来た。縁語の勢力は、しらべ[#「しらべ」に傍線]に交渉が尠い処から、大した問題にならなくなつた。かけ詞は、調子の曲折を作ると共に、意義の快い転換と、切迫とを起し、自ら外形にも緊張感を来す。此意味に於て、其新味のある物は、愈喜ばれる様になつて行つたものである。此等の傾向は、新古今集各本に通じて言へることでもあるが、遠島抄の中心態度は、茲に在るのである。
其は、耳からする芸謡・民謡類の、雑多な影響のある事は勿論であるが、目から入る文を読む時に起る、音律感からも来てゐる。私は、連歌に詠まれる人事や、歌詞などから、主として導かれてゐる様に思ふ。王朝末から段々、たけ[#「たけ」に傍線]の意識が明らかになつて来てゐたのを、新古今で極度に、其を伸した結果、近代的感覚を喜ばす様なしらべ[#「しらべ」に傍線]を欲する様になつて、茲まで行き著いたものと思ふ。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「隠岐本新古今和歌集」
   1927(昭和2)年9月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年九月『隠岐本新古今和歌集』巻首」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年7月13日作成
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