の纏綿して居る処は、俊成風である。「あやめぞかをる」と「時鳥」との関係は、知識的には断れて見えるが、情調的には続いてゐる。境地は印象しにくい。「時鳥なくや五月」は、古今集から出た本歌だけに「時鳥なくや」が枕詞にとれる。時鳥は鳴いたのか。唯五月の雨の夕ぐれに、あやめがかをつて来ると言ふのか。どちらにも結著のつかない気分に残される。此が次義のえん[#「えん」に傍線]で、其どれと言ふ刺戟もなくて、全体から来る幽雅な美を、仮感の方からも感じたのだらう。枕詞と採つた方が歌としてはよいが、困ることは、此頃の枕詞が、又さうした概念で考へられてゐたのだ。此歌は、新古今式には幽玄でないが、此を印象的に、聯想の余地を作つてたけ[#「たけ」に傍線]を出して来たら、やはり幽玄に入るのだつた。
枕詞・歌枕といふ語も、常に動いて居たので、第一義は既に述べたが、而も疑ふべきは新撰髄脳で、果して公任作かどうかと思はれる程だ。枕は歌の上の常用語で、必一つは置かねばならぬ意義のものと考へてゐる。其語を据ゑる事によつて起される所の幻影を、歌全体が被る。だから、上の句にまづ置場処をきめて、実相を描写した下の句に、其気分を匂はしかける。基調主題、即、頭の位置を定める枕に似た義の考へ出された事が見える。其中から、古くて、単語と言ふより、句の形をとつて居るものと、枕詞序歌をも込めて枕詞と言ふ様になつたらしい。
わりに古い歌枕は、初めは、古書に出た地名・行事の称呼・日常語の雅訳したものなどを言うて居た様である。即、名所・人事・季題の定まる基で、同時に、異名を問題にさせ初めたのである。古語及び意の訣らぬものを、現代の物に推し当てた死語、漢・仏籍の語を直訳したものなどが、段々出る導きをした。さうして、俊頼が民間伝承を入れる因にもなつたのだ。歌の上の文学用語であると共に、歌枕は、本来の用として、歌の風韻を作るものであつた。此が連歌に入り、誹諧に入つて「座」となる。其放散する風韻が、一聯の気分を統一する様になつた。其が誹諧の盛んになるに連れて、季を専らとする風に傾いて行つたのだ。
和歌及び歌学は、一つで、学問と考へられた。創作の才は、学識によつて定まるものと見た。歌枕其他、故事・格式を知らねば作れぬものと考へたからである。俊成以前から遠く兆して居たのだ。頑なに信じ、愚かに伝来を重んずる武家時代では、和歌を作る事は学者とな
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