りも、詩なり賦なりの韻律を持ち、形式の束縛さへ甘受すれば、ともかくも形だけは整へる事の出来る文体に赴くのが、初学者の択ぶ普通の道でもあり、又社会から見ても、律文にはある自在を持つて居たのである。だから懐風藻類似の文集が幾つ出て来ても、多くは詩賦を以て埋められて居ることだらう。拠り処のない漢語の散文は、帰化人の子孫でもなければ、思ふ様に意思を表す事すら、むつかしかつたらうと考へる。
けれども読む方と知得する事には相当な発達をしてゐた事と思はれる。手に入れ易い書物の影響は勿論、後世伝はらない文学書の感化さへ見えて居て、それが万葉集にも現れて居るのである。私は人麻呂が支那の詩の影響を受けて、対句・畳句其他の修辞法を応用したといふ様な考へは、もう旧説として棄てゝもよいと思うて居る。社会の持つ響きを感じて、それから来る漢文学的影響位は出したかも知れぬが、漢学の素養があつて、あの詩形が出来たなど言ふのは、古代からの歌謡の発生の道筋に晦《くら》い人である。文学が宗教意識に随伴して生れるため、変態心理を寓した形式の上の相似形を、支那特殊の発生と信じて居る様な考へ方は、今では何の権威もなくなつて居る。人
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