・人事に軽い交渉をつけて見たもので、根柢から心を揺り動かす種類の感動を避ける事であつた。即極めて淡い享楽態度を持ち続ける中に、纔《わづ》かに人事・自然の変化を見ようとするのだつた。時候の挨拶、暦日と生物の動静、その交渉や矛盾、――そんな事に目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて驚く古今集の態度は、赤人にはじまつて居る。
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百済野《クダラヌ》の萩《ハギ》の旧枝《フルエ》に、春待つと来棲《キヰ》し鶯、啼きにけむかも(万葉巻八)
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自然に対する同情が、仄かに鳥の心にも通ふ様な気のする歌である。けれども来棲《キヰ》しと言ふのは、全くの空想である。優美の為に立てた趣向である。冬の中、百済野で鶯を見て知つて居たのではない。棲むだらうと思はれる鶯なのである。歌はさのみ悪いとは言へぬが、調子が既に平安朝を斜聴させてゐる。前に挙げて来た彼の作物と比べると、調子から心境まで、まるで違ひ過ぎてゐる。古今集撰者らの手本となつたらうと思はれる様な姿と心とである。
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足引の山にも、野にも、御狩《ミカリ》人 猟矢《サツヤ》たばさみ乱りたり。見ゆ(万葉巻六)
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此は人麻呂の
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英虞《アゴ》の浦に船乗りすらむ処女らが、珠裳の裾に、汐満つらむか(万葉巻一)
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などゝ同じ行き方で、模倣の痕がある様だ。而も独自の領分は十分に持つてゐる。但、あまり外的な表現ではある。けれどもまだ/\「百済野」などに比べれば、歌に古くて強い気ざしがこもつてゐる。「百済野」はまだよい。春の歌四首になると、どうしても今まで挙げて来た歌の作者とは思はれない。実に赤人は、三変或は四変してゐる。
此態度が一般的に見ると、やはり明らかに万葉巻十にも見え、巻七にも見えてゐる。此巻々は、直様古今と続けて見てもよい程に、自然に浸つてゐる。けれども尚失ひきらぬ万葉びとの呼吸は、弛んだ調子の間にも通うてゐて、巻七・巻十の歌の全体として、固定は固定として、一首々々には、真の感激の出たものも多い。
一一
奈良中期には大伴[#(ノ)]旅人・山上[#(ノ)]憶良らが、支那趣味を移植して、短歌に変つた味を出さうとした。けれども此人たちの抒情詩人としての素質が、叙景に優れたものは出させなかつた。
旅人の子の家持は、最後の一人の観のある人であつた。古代の歌謡に憧れ、家の昔を懐しんでゐた。さうしてくづれる浪を堰きとめようとして、時勢に押されて敗北した。でも、さすがに彼の歌には、情景の融合と、近代的の感興が行き亘つてゐる。
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朝牀《アサトコ》に聴けば遥けし。射水《イミヅ》川、朝漕ぎしつゝ唄ふ舟人(家持――万葉巻十九)
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赤人のよい物と似た処のあるのは、模倣から上手の域に達した人だけに、意識して影響をとり込んでゐると言うてよからう。
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春の野に霞たなびき、うら悲し。此夕暮に、鶯なくも(家持――万葉巻十九)
我が家《ヤド》のいさゝ群竹《ムラタケ》 吹く風の 音のかそけき、このゆふべかも(同)
うら/\に照れる春日に、雲雀あがり、心かなしも。独りし思へば(同)
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家持は、どつちかと言へば、人麻呂から得た影響の部分が、よい様である。そして素質的に、抒情派から出て、叙景に入つた人である。此点に、最人麻呂と似て居る点が見出される。而も歌は、感興の鋭い、近代的な神経を備へたものである。赤人の末期の「みやび歌」よりは、私は此方を高く評価したいのである。
底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「太陽 第三二巻第八号」
1926(大正15)年6月
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年六月「太陽」第三二巻第八号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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