人麻呂を学んで脱することの出来ないで居る間に、赤人は自分の領域を拓いて行つた。彼がまづ拓いたと思はれるのは、趣向のある歌である。自然を矯める傾向はそこに兆したが、みやびと言ふ宮廷風・都会風の文学態度を創立して、都と鄙との区別を立てる様な傾向の先駆をした。
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春の野に菫つみにと、来し我ぞ、野を懐しみ、一夜寝にける(万葉巻八)
あしびきの山桜花、日並《ケナラ》べてかく咲きたらば、いたも恋ひめやも(同)
吾が夫子《セコ》に見せむと思ひし梅の花。それとも見えず。雪の降れゝば(同)
明日よりは、春菜摘まむと標《シ》めし野に、昨日も 今日も 雪はふりつゝ(同)
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所謂ますら雄ぶり[#「ますら雄ぶり」に傍線]から遠ざかつたたをやめぶり[#「たをやめぶり」に傍線]を発生させたのは、この人である。邑落生活を忘れ、豪族は官吏としての意識を明らかに持つ様になつた奈良の中期には、もう都鄙・官民の別を示すだけの風習が生じた。従来の調子や表現を旧式の歌と考へ、素朴を馬鹿にし、宮廷を中心とする貴族生活の気分を十分に味はゝうとする享楽傾向が顕れて来た。赤人は其|先駆《サキガ》けであつた。平安朝の文学に於ける優美は、赤人に始まると言うてよい。貫之が赤人を人麻呂に比較する程値打ちをつけて考へたのは、其流行の祖宗として尊んだのであつた。
赤人は融通のきく才人であつたと思はれる。人麻呂調の抒情味の勝つた歌も作れば、黒人式の没主観を体得した様でもある。黒人――赤人との播州海岸の覊旅歌を見ると、殆ど赤人の個性は没して居て、而も歌としては、値打ちの高い物を作つてゐる。
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桜田へ鶴《タヅ》なき渡る。愛知潟《アユチガタ》汐干にけらし。鶴なき渡る(黒人――万葉巻三)
和歌の浦に汐みち来れば、潟《カタ》をなみ、蘆辺《アシベ》をさして、鶴鳴きわたる(赤人――万葉巻六)
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此二つの歌を並べて見ると、赤人が黒人を模してゐた様はよく見える。其上、前の吉野の宮の歌二首の如きは、
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足引の 山川の瀬の 鳴るなべに、弓月嶽《ユヅキガタケ》に 雲立ち渡る(万葉巻七)
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人麻呂の此歌に、既に同様の静観が現れてゐるから、赤人の模倣した筋路も考へられる。
赤人の工夫した優美は、平穏な生活を基調として、自然
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