下げ]
印南野《イナミヌ》も行き過ぎ不敢《カテニ》思へれば、心|恋《コホ》しき加古《カコ》の川口《ミナト》見ゆ(人麻呂――万葉巻三)
笹の葉はみ山もさやに騒《サヤ》げども、我は妹思ふ。別れ来ぬれば(同――万葉巻二)
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内外の現象生活がぴつたり相叶うてゐる。日本の短歌に宿命的の抒情味の失せないのは、人麻呂がこんな手本を沢山に残したからである。長歌の方では、完全に叙景と抒情とが一つに融けあつてゐるのは尠い。まづ巻二の挽歌の中にある、通ひ慣れた軽《カル》の村の愛人が死んだのを悲しんだ歌などを第一に推すべきであらう。つまりよい歌になると、人麻呂のも黒人のも、情景が融合して、景が情を象徴するばかりか、情が景の核心を象徴してゐる様に見えるのである。
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もみぢ葉の散り行くなべに、たまづさの使を見れば、会ひし日思ほゆ
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と言ふのは、其挽歌の反歌であるが、黄葉の散るのを目にしてゐる。其時に、自分の脇を通つて遠ざかつて行く杖部《ハセツカヒベ》――官用の飛脚の様なもの――を見ると「わが家へも、ひが呼びに来たことがある。あのまだ生きて会うた日のことが一々思ひ出される」と言ふので、沈潜といふより、事件の興味で優れてゐる歌だが、此も叙事に流れず、主題の新しく外的に展《ひろが》つて行つた道筋がよく見える。調子も、落ちついて、寂々と落葉を足に踏みながら過ぎる杖部の姿が、耳から目に感覚を移して来る。それが、すつぽりと、悲しい独りになつた自覚に沈んでゐる内界と、よく調和してゐる。
純抒情の歌は、やはり少し劣る様である。まだ抒情態度は完全に発生して居ない。人麻呂自身の糶《せ》り上げた抒情詩も、黒人だけの観照態度が据ゑられなかつたのも無理はない。黒人の方は寂しいけれども、朗らかである。しめやかであるけれど、さはやかな歌柄である。
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わぎも子に猪名野《ヰナヌ》は見せつ。名次《ナスキ》山 角《ツヌ》の松原 いつかしめさむ(黒人――万葉巻三)
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など、軽い心持ちで歌つてゐる中に、黒人のよい素質がみな出てゐる。妻を劬《いたは》る心持ちの、拘泥なく、しかも深い愛をこめて見える。宴歌として当座に消え失せなかつたのも、故のあることである。
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住吉《スミノエ》の榎津《エナツ》に立ちて、
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