さはに 大宅《オホヤケ》過ぎ、春日《ハルヒ》の 春日《カスガ》を過ぎ、つまごもる 小佐保《ヲサホ》を過ぎ、
[#ここで字下げ終わり]
平群《ヘグリ》[#(ノ)]鮪《シビ》の愛人かげ媛[#「かげ媛」に傍線]が、鮪の伐たれたのを悲しんで作つた歌の大部分をなして居るこれだけの文章は、主題に入らないで、経過した道筋を述べたてゝゐるだけである。さうしてやつと眼目の考へが熟して来て、
[#ここから2字下げ]
たま[#「たま」に「(つゞき)」の注記]笥《ケ》には飯さへ盛り、たま※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《モヒ》に水さへ盛り、
[#ここで字下げ終わり]
と対句でぐづ/″\して後、
[#ここから2字下げ]
哭きそぼち行くも。かげ媛 あはれ(かげ媛――日本紀)
[#ここで字下げ終わり]
と、極めて簡単な解決に落着してゐる。この中の「かげ媛あはれ」は、囃し語として這入つたもので、元来の文句は「哭きそぼち行くも」で終つて居るのである。これも実際は、かげ媛[#「かげ媛」に傍線]の自作ではなくて、平群氏に関聯した叙事詩の中の断篇か、或は他の人の唯の葬式の歌かゞ、かうした伝説を伴ふやうになつたのであらう。ともかくも、口に任せて述べて行く歌の極端な一例である。似た例がいはの媛[#「いはの媛」に傍線]にもある。
[#ここから2字下げ]
つぎねふや 山城川を 宮のぼり 我が溯れば、あをによし 奈良を過ぎ、をだて 倭邑《ヤマト》を過ぎ、我が見が欲《ホ》し国は、葛城《カツラギ》 高宮 我家《ワギヘ》のあたり(いはの媛――記)
[#ここで字下げ終わり]
前と違ふ点は、叙事に終止しないで、抒情に落してゐる所だけである。おなじ時に出来たと言ふ今一首は、道行きぶりの中に、稍複雑味が加つて居る。
[#ここから2字下げ]
つぎねふや 山城川を 川溯り 我がのぼれば、川の辺に生ひ立てる烏草樹《サシブ》を。烏草樹《サシブ》の樹 其《シ》が下《シタ》に生ひ立てる葉広五|百《ユ》つ真椿《マツバキ》。其《シ》が花の 照りいまし 其《シ》が葉の 張《ヒロ》りいますは 大君ろかも(同)
[#ここで字下げ終わり]
此歌は、日本紀の方の伝へは、断篇である。此古事記の方で見ると、道行きぶりから転化して物尽しに入つて居る。道行きぶりも畢竟は地名を並べる物尽しに過ぎない。併し既に言うたとほり尚、神群行の神歌
前へ 次へ
全24ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング