は実践する所の習俗として残っていて、而も、伝説化・芸術化することなくして、そのまま消えて行ったのである。その消滅の径路において、彼岸の落日を拝む風と、落日を追うて海中に没入することと、また少くとも彼岸でなくとも、法悦は遂げられるという入水死《じゅすいし》の風習とに岐《わか》れて行ったのである。
ここで山越し像に到る間を、少し脇路に蹈《ふ》み入ることにしたい。
さて、此日東の大きなる古国には、日を拝む信仰が、深く行われていた。今は日輪を拝する人々も、皆ある種の概念化した日を考えているようだが、昔の人は、もっと切実な心から、日の神を拝んで居た。
宮廷におかせられては、御代《みよ》御代の尊い御方に、近侍した舎人《とねり》たちが、その御宇《ぎょう》御宇の聖蹟を伝え、その御代御代の御威力を現実に示す信仰を、諸方に伝播《でんぱ》した。此が、日奉部《ひまつりべ》(又、日祀部《ひまつりべ》)なる聖職の団体で、その舎人出身なるが故に、詳しくは日奉大舎人部とも言うた様である。此|部曲《かきべ》の事については、既に前年、柳田先生が注意していられる。之と日置部・置部など書いたひおきべ[#「ひおきべ」に傍線](
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