傍点]がそうなって居ぬのは、出たとこ勝負に物をするという思慮の浅さと、前以てものを考えることを、大儀に思うところから来るのは勿論だが、どうも一つ事から、容易に、気分の離れぬと言う性分が、もと[#「もと」に傍点]になっている様である。
さて、今覚えている所では、私の中将姫の事を書き出したのは、「神の嫁」という短篇未完のものがはじめである。此は大正十年時分に、ほんの百行足らずの分量を書いたきり、そのままになっている。が、横佩垣内《よこはきかきつ》の大臣家の姫の失踪《しっそう》事件を書こうとして、尻きれとんぼうになった。その時の構図は、凡《すべて》けろりと忘れたようなあり様だが、藕糸曼陀羅《ぐうしまんだら》には、結びつけようとはしては居なかったのではないかと思う。
その後もどうかすると、之を書きつごうとするのか、出直して見ようと言うのか、ともかくもいろいろな発足点を作って、書きかけたものが、幾つかあった。そうして、今度のえじぷと[#「えじぷと」に傍線]もどきの本が、最後に出て来たのである。別に、書かねばならぬと言うほどの動機があったとも、今では考え浮ばぬが、何でも、少し興が浮びかけて居たというのが、何とも名状の出来ぬ、こぐらかったような夢をある朝見た。そうしてこれが書いて見たかったのだ。書いている中に、夢の中の自分の身が、いつか、中将姫の上になっていたのであった。だから私から言えば、よほど易い路へ逃げこんだような気が、今におきしている。ところが、亡くなった森田武彦君という人の奨《すす》めで、俄《にわ》かに情熱らしいものが出て来て、年の暮れに箱根、年あけて伊豆|大仁《おおひと》などに籠《こも》って書いたのが、大部分であった。はじめは、此書き物の脇役になる滋賀津彦に絡んだ部分が、日本の「死者の書」見たようなところがあるので、これへ、聯想《れんそう》を誘う為に、「穆天子伝《ぼくてんしでん》」の一部を書き出しに添えて出した。そうして表題を少しひねってつけて見た。こうすると、倭《わ》・漢・洋の死者の書の趣きが重って来る様で、自分だけには、気がよかったのである。
そうする事が亦、何とも知れぬかの昔の人の夢を私に見せた古い故人の為の罪障消滅の営みにもあたり、供養にもなるという様な気がしていたのである。書いている内の相当な時間、その間に一つも、心に浮ばなんだ事で、出来上って後、段々ありありと思い出されて来た色々の事。まるで、精神分析に関聯した事のようでもあるが、潜在した知識を扱うのだから、其とは別だろう。が元々、覚めていて、こんな白日夢を濫書するのは、ある感情が潜在しているからだ、と言われれば、相当病心理研究の材料になるかもしれぬ。が、私のするのは、其とは、違うつもりである。もっとしかつめらしい顔をして、仔細《しさい》らしい事を言おうとするのである。だから、書かぬ先から、余計な事だと言われそうな気おくれがする。
まず第一に、私の心の上の重ね写真は、大した問題にするがものはない。もっともっと重大なのは、日本人の持って来た、いろいろな知識の映像の、重って焼きつけられて来た民俗である。其から其間を縫うて、尤《もっとも》らしい儀式・信仰にしあげる為に、民俗民俗にはたらいた内存・外来の高等な学の智慧である。
当麻《たぎま》信仰には、妙に不思議な尼や、何ともわからぬ化身の人が出る。謡の「当麻」にも、又其と一向関係もないらしいもので謂っても、「朝顔の露の宮」、あれなどにも、やはり化尼《けに》が出て来る。曼陀羅縁起以来の繋《つなが》りあいらしい。私の場合も、語部《かたりべ》の姥《うば》が、後に化尼の役になって来ている。
此などは、確かに意識して書いたように覚えている。その発端に何ということなしに、ふっと結びついて来たのだから、やはりそう言うことになるかも知れぬ。が、人によっては、時がたてば私自身にも、私の無意識から出た化尼として、原因をここに求めそうな気がする。それはともかくも、実際そんな風に計画して書いて行くと、歴史小説というものは、合理臭い書き物から、一歩も出ぬものになってしまう。
岡本綺堂の史劇というものは、歴史の筋は追うていても、如何にも、それ自体、微弱感を起させる歴史であった。其代りに、読本作者のした様な、史実或は伝説などの合理化を、行って見せた。その同じ程度の知識は、多くの見物にも予期出来るものであって、そうした人達は、見ると同時に、作者の計画を納得するという風に出来ていた。其が、綺堂の新歌舞伎狂言の行われた理由の一つでもあった。何しろ、作者と、読者・見物と並行しているという事は、大衆を相手にする場合には、余程強みになるらしい。その書き物も、其が歴史小説と見られる側には十分、読本作者や、戯曲における岡本綺堂が顔を出して居る。だが、私共の書いた物は、歴史
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