謂う……。こうある。
何の訣《わけ》とも知らず、社日や、彼岸には、女がこう言う行《ぎょう》の様なことをした。又現に、してもいるのである。年の寄った婆さまたちが主となって、稀《まれ》に若い女たちがまじるようになったのは、単に旧習を守る人のみがするだけになったと言うことで、昔は若い女たちが却《かえっ》て、中心だったのだろうと思われる。現にこの風習と、一緒にしてしまって居る地方の多い「山ごもり」「野遊び」の為来《しきた》りは、大抵娘盛り・女盛りの人々が、中心になっているのである。順礼等と言って、幾村里かけて巡拝して歩くことを春の行事とした、北九州の為来りも、やはり嫁入り前の娘のすることであった。鳥居を幾つ綴って来るとか言って、菜の花桃の花のちらちらする野山を廻った、風情ある女の年中行事も、今は消え方になっている。
そんなに遠くは行かぬ様に見えた「山ごもり」「野あそび」にも、一部はやはり、一|个《か》処に集り、物忌みするばかりでなく、我が里遥かに離れて、短い日数の旅をすると謂う意味も含まって居たのである。こう言う「女の旅」の日の、以前はあったのが、今はもう、極めて微かな遺風になってしまったのである。
併し日本の近代の物語の上では、此|仄《ほの》かな記憶がとりあげられて、出来れば明らかにしようと言う心が、よほど大きくひろがって出て来て居る。旅路の女の数々の辛苦の物語が、これである。尋ね求める人に廻りあっても、其とは知らぬあわれな筋立て[#「筋立て」に傍点]を含むことが、此「女の旅」の物語の条件に備ってしもうたようである。
女が、盲目でなければ、尋ねる人の方がそうであったり、両眼すずやかであっても行きちがい、尋ねあてて居ながら心づかずにいたりする。何やら我々には想像も出来ぬ理由があって、日を祀る修道人が、目眩《めくるめ》く光りに馴れて、現《うつ》し世《よ》の明を失ったと言う風の考え方があったものではないか知らん。
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、何時か自《おのずか》ら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに気づいて、思いがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。
山越しの阿弥陀像の残るものは、新旧を数えれば、芸術上の逸品と見られるものだけでも、相当の数にはなるだろう。が、悉《ことごと》く所伝通り、凡《すべて》慧心僧都以後の物ばかりと思われて、優れた作も
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング