。一番心の打たれるのは、山の外輪に添うて立ち竝ぶ峰の松原である。その松原ごしに、阿彌陀は出現してゐる訣であつた。十五夜の山の端から、月の上つて來るのを待ちつけた氣持ちである。下は紅葉があつたり、瀧をあしらつたりして、古くからの山越しの阿彌陀像の約束を、活さうとした古典繪家の意趣は、併しながら、よく現れてゐる。
此は、爲恭の日記によると、紀州根來に隱れて居た時の作物であり、又繪の上端に押した置き式紙の處に書いた歌から見ても、阿彌陀の靈驗によつて今まで遁れて來た身を、更に救うて頂きたい、といふ風の熱情を思ひ見ることが出來る。だから、漫然と描いたものではなかつたと謂へる。心願を持つて、此は描いたものなのだ。其にしては繪樣は、如何にも、古典派の大和繪師の行きさうな樂しい道をとつてゐる。勿論、個人としての苦悶の痕などが、さう/\、繪の動機に浮んで見えることは、ある筈がない。繪は繪、思ひごとは思ひごとゝ、別々に見るべきものなることは知れてゐる。爲恭は、この繪を寺に留めて置いて、出かけた旅で、浪士の刃に、落命したのであつた。
今かうして、寫眞を思ひ出して見ると、彌陀の腰から下を沒してゐる山の端の峰の
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