から、此畫の美しさが、俄かに陷落してしまふ氣がする。其ほど救ひ難い功利性を示してゐる。此圖の上に押した色紙に「弟子天台僧源信。正暦甲午歳冬十二月……」と題して七言律一首が續けられてゐる。其中に「……光芒忽自[#二]眉間[#一]照。音樂新發耳界驚。永別[#二]故山[#一]秋月送。遙望[#二]淨土[#一]夜雲迎」の句がある。故山と言ふのは、淨土を斥してゐるものと思へるが、尚意の重複するものが示されて、慧心院の故郷、二上山の麓を言うてゐることにもなりさうだ。
此圖の出來た動機が、此詩に示されてゐるのだらうから、我々はもつと、「故山」に執して考へてよいだらう。淨土を言ひ乍ら同時に、大和當麻を思うてゐると見てさし支へはない。此圖は唯上の題詞から源信僧都の作と見るのであるが、畫風からして、一條天皇代の物とすることは、疑はれて來てゐる。さすれば色紙も、慧心作を後に録したもの、と見る外はないやうだ。
一體、山越し阿彌陀像は比叡の横川《ヨガハ》で、僧都自ら感得したものと傳へられてゐる。眞作の存せぬ以上、この傳へも信じることはむつかしいが、まづ[#「まづ」に傍点]凡さう言ふ事のありさうな前後の事情である。
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