生、歳時習俗語彙)又おなじ語彙に、丹波中郡で社日參りといふのは、此日早天に東方に當る宮や、寺又は、地藏尊などに參つて、日の出を迎へ、其から順に南を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて西の方へ行き、日の入りを送つて後、還つて來る。これを日《ヒ》の伴《トモ》と謂つてゐる。宮津邊では、日天樣《ニツテンサマ》の御伴《オトモ》と稱して、以前は同樣の行事があつたが、其は、彼岸の中日にすることになつてゐた。紀伊の那智郡では唯おともと謂ふ……。かうある。
何の訣とも知らず、社日や、彼岸には、女がかう言ふ行《ギヤウ》の樣なことをした。又現に、してもゐるのである。年の寄つた婆さまたちが主となつて、稀に若い女たちがまじるやうになつたのは、單に舊習を守る人のみがするだけになつたと言ふことで、昔は若い女たちが却て、中心だつたのだらうと思はれる。現にこの風習と、一緒にしてしまつて居る地方の多い「山ごもり」「野遊び」の爲來りは、大抵娘盛り・女盛りの人々が、中心になつてゐるのである。順禮等と言つて、幾村里かけて巡拜して歩くことを春の行事とした、北九州の爲來りも、やはり嫁入り前の娘のすることであつた。鳥居を幾
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