の俤が、藤原南家郎女の目に、阿彌陀佛とも言ふべき端嚴微妙な姿と現じたと言ふ空想の據り所を、聖衆來迎圖に出たものだ、と言はうとするのでもない。そんなもの/\しい企ては、最初から、しても居ぬ。たゞ山越しの彌陀像や、彼岸中日の日想觀の風習が、日本固有のものとして、深く佛者の懷に採り入れられて來たことが、ちつとでも訣つて貰へれば、と考へてゐた。
四天王寺西門は、昔から謂はれてゐる、極樂東門に向つてゐるところで、彼岸の夕、西の方海遠く入る日を拜む人の群集《クンジユ》したこと、凡七百年ほどの歴史を經て、今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる西の宮に向つて、くるめき入る日を見送りに出る。此種の日想觀なら、「弱法師」の上にも見えてゐた。舞臺を何とも謂へぬ情趣に整へてゐると共に、梅の花咲き散る頃の優《イウ》なる季節感が靡きかゝつてゐる。
しかも尚、四天王寺には、古くは、日想觀往生と謂はれる風習があつて、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行つたのであつた。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。觀音の淨土に往生する意味であつて、※[#「水/(水+水)」、第3水
前へ 次へ
全33ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング