らしいものでも感じて貰へればよいと思うたのだ。こんな事をわざ/\書いておくのは、此後に出て來る數[#(个)]條の潛在するものゝはたらきと、自分自身混亂せぬやう、自分に言ひ聞かせるやうな氣持ちでする訣である。
稱讚淨土佛|攝受經《セフジユギヤウ》を、姫が讀んで居たとしたのは、後に出て來る當麻曼陀羅の説明に役立てようと言ふ考へなどはちつともなかつた。唯、この時代によく讀誦せられ、寫經せられた簡易な經文であつたと言ふのと、一つは有名な遺物があるからである。ところが、此經は、奈良朝だけのことではなかつた。平安の京になつても、慧心僧都の根本信念は、此經から來てゐると思はれるのである。たゞ、傳説だけの話では、なかつたのである。
此聖生れは、大和葛上郡――北葛城郡――當麻村といふが、委しくは首邑當麻を離るゝこと、東北二里弱の狐井・五位堂のあたりであつたらしい。ともかくも、日夕二上山の姿を仰ぐ程、頃合ひな距離の土地で、成人したのは事實であつた。
こゝに豫め言うておきたいことがある。表題は如何ともあれ、私は別に、山越しの彌陀の圖の成立史を考へようとするつもりでもなければ、また私の書き物に出て來る「死者」
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