は、原義幾分か明らかである。おく[#「おく」に傍点]は後代算盤の上で、ある数にあたる珠を定置することになつてゐるが、大体同じ様な意義に、古くから用ゐてゐる。源為憲の「口遊《クイウ》」に、「術に曰はく、婦人の年数を置き、十二神を加へて実と為し……」だの、「九々八十一を置き、十二神を加へて九十三を得……」などゝある。此は算盤を以てする卜法である。置く[#「置く」に傍線]が日を計ることに関聯してゐることは、略疑ひはないやうである。たゞおく[#「おく」に傍点]なる算法が、日置の場合、如何なる方法を以てするか、一切明らかでないが、其は唯実際方法の問題で、語原においては、太陽並びに、天体の運行によつて、歳時・風雨・豊凶を卜知することを示してゐるのは明らかである。
此様に、日を計つてする卜法が、信仰から遊離するまでには、長い過程を経て来てゐるだらうが、日神に対する特殊な信仰の表現のあつたのは疑はれぬ。其が、今日の我々にとつて、不思議なものであつても、其を否む訣には行かぬ。既に述べた「日《ヒ》の伴《トモ》」のなつかしい女風俗なども、日置法と関聯する所はないだらうが、日祀りの信仰と離れては説かれぬものだ
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