おかれてあつたのではないか。だから事に触れて、思ひがけなく出て来るのである。さう思へば、集古館の不思議どころでなく、以前には、もつと屡、さう言ふ宗教心を衝激したことがあつたやうである。手近いところでは、私の別にものした中将姫の物語の出生なども、新しい事は新しいが、一つの適例と言ふ点では、疑ひもなく、新しい一つの例を作つた訣なのである。
だが其後、をり/\の感じといふものがあつて、これを書くやうになつた動機の、私どもの意識の上に出なかつた部分が、可なり深く潜んでゐさうな事に気がついて来た。それが段々、姿を見せて来て、何かおもしろをかしげにもあり、気味のわるい処もあつたりして、私だけにとゞまる分解だけでも、試みておきたくなつたのである。今、この物語の訂正をして居て、ひよつと、かう言ふ場合には、それが出来るのかも知れぬといふ気がした。――其だけの理由で、しかも、かう書いてゐることが、果してぴつたり、自分の心の、深く、重たく折り重つた層を、からり/\と跳ねのけて、はつきり単純な姿にして見せるか、どうかもそれは訣らぬのである。
日本人総体の精神分析の一部に当ることをする様な事になるかも知れぬ。だが決して、私自身の精神を、分析しようなどゝは思うても居ぬし、又そんな演繹式な結果なら、して見ぬ先から訣つてゐるやうな気もするのだから、一向して見るだけの気のりもせなんだのである。
私の物語なども、謂はゞ、一つの山越しの弥陀をめぐる小説、といつてもよい作物なのである。私にはどうも、気の多い癖に、又一つ事に執する癖がありすぎるやうである。だが、さう言うてはうそ[#「うそ」に傍点]になる。何事にも飽き易く、物事を遂げたことのない人間なのだけれど、要するに努力感なしに何時までも、ずる/\べつたりに、くつゝいて離れぬといふ、ふみきりがわるいと言はうか、未練不覚の人間といはうか、ともかく時には、驚くばかり一つ事に、かゝはつてゐる。旅行なども、これでわりにする方の部に入るらしいが、一つ地方にばかり行く癖があつて、今までに費した日数と、入費をかければ、凡日本の奥在家・島陰の村々までも、あらかたは歩いてゐる筈である。それ[#「それ」に傍点]がさうなつて居ぬのは、出たとこ勝負に物をするといふ思慮の浅さと、前以てものを考へることを、大儀に思ふところから来るのは勿論だが、どうも一つ事から、容易に、気分の離れぬ
前へ
次へ
全17ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング