居るのに、気のついた人はあらうと思ふ。為恭にも、同じ理由から出た、おなじ気持ち――音楽なら主題といふべきもの――が出てゐる。私は、此絵の震火をのがれるきつかけを作つた籾山半三郎さんほどの熱意がないと見えて、いまだに集古館へ、この絵を見せて貰ひに出かけて居ぬ。話は、かうである。ある日、一人の紳士が集古館へ現れた。此画は、ゆつくり拝見したいから、別の処へ出して置いて頂きたいと頼んで帰つた。其とほりはからうて、そのまゝ地震の日が来て、忘れたまゝに、時が過ぎた、と此れが発端である。正《シヤウ》の物を見たら、これはほんたうに驚くのかも知れぬが、写真だけでは、立体感を強ひるやうな線ばかりが印象して、それに、むつちりとした肉《シヽ》おきばかりを考へて描いてゐるやうな気がして、むやみに僧房式な近代感を受けて為方がなかつた。其に、此はよいことゝもわるいことゝも、私などには断言は出来ぬが、仏像を越して表現せられた人間といふ感じが強過ぎはしなかつたか、と今も思うてゐる。
この絵は、弥陀仏の腰から下は、山の端に隠れて、其から前の画面は、すつかり自然描写――といふよりも、壺前栽を描いたといふやうな図どりである。一番心の打たれるのは、山の外輪に添うて立ち並ぶ峰の松原である。その松原ごしに、阿弥陀は出現してゐる訣であつた。十五夜の山の端から、月の上つて来るのを待ちつけた気持ちである。下は紅葉があつたり、滝をあしらつたりして、古くからの山越しの阿弥陀像の約束を、活さうとした古典絵家の意趣は、併しながら、よく現れてゐる。
此は、為恭の日記によると、紀州根来に隠れて居た時の作物であり、又絵の上端に押した置き式紙の処に書いた歌から見ても、阿弥陀の霊験によつて今まで遁れて来た身を、更に救うて頂きたい、といふ風の熱情を思ひ見ることが出来る。だから、漫然と描いたものではなかつたと謂へる。心願を持つて、此は描いたものなのだ。其にしては絵様は、如何にも、古典派の大和絵師の行きさうな楽しい道をとつてゐる。勿論、個人としての苦悶の痕などが、さう/\、絵の動機に浮んで見えることは、ある筈がない。絵は絵、思ひごとは思ひごとゝ、別々に見るべきものなることは知れてゐる。為恭は、この絵を寺に留めて置いて、出かけた旅で、浪士の刃に、落命したのであつた。
今かうして、写真を思ひ出して見ると、弥陀の腰から下を没してゐる山の端の峰の松
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