たばかりで、まだ人影もなく、深い山の中に真白に静まり返って居た。其等の前を自動車は通って、あてにして来た温泉場へ著いた。
秋の末になると閉めて帰り、春深く雪どけの頃、宿主は戻って来ると言った。信州の佐久の奥からやって来るのだと言う。そう言えば、此辺の景色が、千曲川の上流と何処か似て感ぜられる。景色のとり入れ方はむやみ[#「むやみ」に傍点]によいが、川の砂や石、第一、岩壁の色が、如何にも美しくない。其が味を薄くしている。ここで一晩とまった。村上あたりの中等学校の生徒だろう。五六人来て、宿の庭の岩陰に、てんと[#「てんと」に傍線]を張って居る。数年前から旅行すると、よくこうしたきゃんぷ[#「きゃんぷ」に傍線]連中に出あう。
荒川と言う其流れについて下って、高瀬とか言った宿屋数軒、外湯一棟と言う処も見て、湯沢温泉へ出た。そこで一軒、山の流れの行きどまりになったところの両側に跨って建って居る家に休んで、越後下関《エチゴシモゼキ》駅発の汽車の時間を待ち合せた。規模は小さいが、川の砂を掘り窪めて、村の子どもが泥の浴槽を造ったりしている遊び場が、鼻の先にあった。湯の量も相当にあるだろうのに、元湯の一棟を数室にしきった家族風呂を建てて居た。こう言うのをすくのが、此頃の客人気質かも知れぬが、宿屋の為に気の毒な気がした。
下関の村は、月六斎《ツキロクサイ》の市日の一つに当る日で、賑うて居た。軒並び覗いて見ても、隅々までも都会化した品物ばかりが並んでいる。目につく物は、凡てぶりき[#「ぶりき」に傍線]か、せるろいど[#「せるろいど」に傍線]である。なるほど、所謂げて[#「げて」に傍点]物が骨董並みに考えられる訣だと思う。もう山もここまで来ると、余程開けて、阪町までは、一続きと言う気がする。
ことしはどう言う訣か、何処へ行って尋ねても、山は岩魚のとれない処が多かった。やまめ[#「やまめ」に傍点]や、かじか[#「かじか」に傍点]すらあまり喰わしてくれる処がなかった。白布も高湯まで来ると、川が細って居るが、それでも岩魚は、始中終とれて来た。尤、稀に大きいのがついて来るのを、「此川のですか」と問うと、きっと外処《ワキ》の川から来たものだとの答えであった。小形《コブリ》だけれど、ころも[#「ころも」に傍点]を掛けて揚げたりしたのは、却てよかった。湯場から一里もさがると、大白部《オオシラブ》・小白部
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