畳屋へ遣ると嚇されたものである。
九 しゃかどん
大阪府三島郡|佐位寺《サヰデラ》に「つの」とも「かど」とも訓む字と、其第三の訓《クン》とを用ゐて、家の名とした一家がある。其一門は、男女と言はず、一様に青黒い濁りを帯びた皮膚の色をしてゐるので、古くから釈迦どん[#「釈迦どん」に傍線]と言うてゐる。唯の黒さでなく、異様な煤け方である。其家の持ち地であつて、今は他家の物となつたと言ふ、村の山地には、釈迦个池と言ふ池がある。
一〇 夙村
河内の夙村では、村をとりまく濠やうの池のある事は、郷土研究にも見えた。但、其池はすべて、への字なりになつて居るといふ。
一一 ゆんべ
昨晩と言ふ語をば冒頭に据ゑた唄を、二つ報告する。但、二つとも末を忘れた。可なりな老人に聞いても知らぬ。要点は頭の方にある様だから書く。
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ゆんべ生れたくまちやんは、じより/\[#「じより/\」に傍線](月代)剃つて、髪結うて、そろばん橋を渡ろとて、蟹にちんぽ(きんたま)をはそまれて、あいたい、こいたい。権兵衛《ゴンベ》さん。此身を助けてくださんせ。……
ゆんべ吹いた風は大津へ聞えて、大津はおんま(御馬か)つちのこ[#「つちのこ」に傍線]は槍持ち、能《ヨ》う槍持つて。……
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前のは、川村氏の「さいごたかもり、はじめて東へ下るとて、蟹にきんたま挟まれて(郷土研究四の七)」に似て居り、後のは、南方氏の田辺へ聞えた、又は西の宮へ聞えたの唄(同一の二)と同じ趣きである。
一二 うしはきば
此は、美濃路から東方に亘つてゐると思はれる、馬捨て場と同じ意味の場処である。多くは池の堤や、村から入りこんだ小川の岸などで、大抵人の行かぬ場所にあつた。わりあひに神聖な処と考へられてゐる様である。死んだ牛の皮を剥ぐ場処の意で、はき[#「はき」に傍線]を清音に言ふ。河内辺に多い地名である。牛を剥ぎにはえたが来て、皮・肉などは貰うて帰るのださうである。馬を使ふ農家はないから、一村の為事に、馬といふ考へは這入つてゐないのである。
一三 名字
木津・難波には、本《モト》と言ふ字のつく姓がある。樽屋が樽本、下駄屋が桐本、材木屋が木元など、皆、其商品を此が資本だ、と言ふ積りで拵へたのである。此は木津に多い。
妙玄・法覚・法西・覚道など言ふのは、難波に沢山ある名字で、戸主が本願寺のおかみそり[#「おかみそり」に傍線]を頂く節、貰うた法名を、そのまゝつけたのである。その中、会所であつたのをもぢつて改正、商買の質をわけて竹貝《タケガイ》・からや[#「からや」に傍線]と言ふ屋号を、唐谷《カラタニ》としたのなどは、秀逸の部である。旧来の通称の儘のは、茶珍《チヤチン》・徳珍《トクチン》・鈍宝《ドンボオ》・道木《ドオキ》・綿帽子《ワタボオシ》・仕合《シヤワセ》・午造《ゴゾオ》・宝楽《ホオラク》・雷《カミナリ》・鳶《トビ》・鍋釜《ナベカマ》などいふ、思案に能はぬのもある。
南波屋《ナンバヤ》が南波、木津|屋《ヤ》が木津谷《キヅタニ》になつたのは普通だが、摂津・丹波の山間十石から出て来て、屋号としたじゅっこく[#「じゅっこく」に傍線]を名字にしてから、俄かに幾代か前に、十石米を貧乏人に施した善根者があつたので、十石で通ることになつたのだ、と由緒を唱へ出した家もある。皆恐らくは、親類会議や、役場の役人の意見を借りたのであらうが、妙な名字を持つた家の子どもは、大困りである。「茶珍ちやあ(茶)沸せ」「徳珍とっくりぶち破つた」「宝楽(炮烙)わったら元の土」などゝ、小学生仲間から、始終なぶられてゐた。
由緒を誇る雲雀《ヒバル》(「折口といふ名字」参照)も、一歩木津の地を出ると、気恥しいと見えて、中学へ行つた一人は、うんじゃく[#「うんじゃく」に傍線]と音読をしてゐた。道木《ドオキ》の方も、重箱訓みを恥ぢて、みちき[#「みちき」に傍線]と言うてゐた。
一四 人なぶり
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はげ八聯隊、横はげ(又、単に横)四聯隊。
はげ山鉄道(てつと)道、汽車すべる。
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散文的な文句だが、音勢を揺ぶる様に強く謡うて、くやしがらせる。又みっちゃ[#「みっちゃ」に傍線]面(あばた)には、
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へんば[#「へんば」に傍線](みっちゃ[#「みっちゃ」に傍線]の一名。南区船場の口合ひ)火事|発《イ》て、みっちゃくちゃ(むちゃくちゃを綟る)に焼けた。
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みっちゃ[#「みっちゃ」に傍線]を更に、みっちゃくちゃ[#「みっちゃくちゃ」に傍線]とも言ふのである。
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みっちゃ[#「みっちゃ」に傍線]/\、どみっちゃ。ひきずりみっちゃ[#「みっちゃ」に傍線]引っぱった。ひっぱったら切れた。切れたら、つないだ。
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へんば[#「へんば」に傍線]は少し下卑た言ひ方である。ひきずりみっちゃ[#「ひきずりみっちゃ」に傍線]は、痘痕《アナ》の続いてゐる旁若無人なあばた[#「あばた」に傍線]面を言ふ。獰猛な顔つきは、子どもの憎悪を唆ると見えて「みっちゃ/\」の唄なども、其では慊《あきた》らぬか「ど、ど(又「ど※[#小書き平仮名ん、129−15]ど」)みっちゃ……」と憎さげに言ひかへる事もある。跛足《チンバ》を罵る時にも、同様「ち※[#小書き平仮名ん、129−16]ば/\。どち※[#小書き平仮名ん、129−16]ば」と謡ふ。
文句は確か、此ぎりの短いものであつた。其外か※[#小書き平仮名ん、129−17]ち[#「か※[#小書き平仮名ん、129−17]ち」に傍線](か清音)めくら[#「めくら」に傍線]などを嬲る文句も、あつた様だが忘れた。
下水道《スヰド》にはまるとか、糞を踏むとか、泥を握るとかした時は「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−2]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−2]ちょ」に傍線]にさぁ(触《サハ》)ろまい。石・金踏んどこ(<で置かう)」又は「石・金持っとこ」と言ふ。びゞ※[#小書き平仮名ん、130−3]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−3]ちょ」に傍線]は穢れた人と言ふ意。かう謡ひながら、石なり、釘なり、雪駄の裏金なりを、道ばたで拾うて持つ。びゞ※[#小書き平仮名ん、130−4]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−4]ちょ」に傍線]と言はれた子は、やつきになつて、びゞ※[#小書き平仮名ん、130−5]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−5]ちょ」に傍線]をうつさ(伝染)うとする。石・金を持たぬ子は、びゞ※[#小書き平仮名ん、130−5]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−5]ちょ」に傍線]になつて了ふので、石・金を持つてゐる中は、穢れが移らぬのである。裏金のついた雪駄をはいた者は、どんな事があつても、びゞ※[#小書き平仮名ん、130−7]ちょ[#「びゞ※[#小書き平仮名ん、130−7]ちょ」に傍線]の仲間入りはせぬ。人なぶりから、遊戯に近くなつてゐる。
遊んでゐて、泣くと「泣きみそきみそ」と言ふ。喧嘩に負けたり、虐められた子供の親がおこりに出ると、
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子どもの喧嘩に親出すな。親があきれて、ぼゞ出すな。
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人の顔を見つめると「人の顔見る者《モン》、飯《マヽ》粒・小つぼ」と言ふ。名前をよみ込む文句では古いのは、
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信《ノブ》こ。のったらの※[#小書き平仮名ん、130−13]|十郎《ジユウラウ》。のらのっち※[#小書き平仮名ん、130−13]ぺぇら(ぽいら[#「ぽいら」に傍線]とも)。
勝こ。かったらか※[#小書き平仮名ん、130−14]十郎。からかっち※[#小書き平仮名ん、130−14]ぺぇら。
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幾分新しいのでは、
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寅こ。とっと言へ。とりき、とゝりき、とやまのとんのくそ。
清《キヨ》こ。きっと言へ。きりき、きゝりき、きやまのきんのくそ。
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など名がしらの音を、頭韻(ありたれいしよん)に挿んで、誰にでも当てはめる。又、
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せいやん雪隠《センチ》で、ばゝ(糞)こ(泌)いて、まっちゃん松葉で掻きよせて、たぁやんた※[#小書き平仮名ん、131−2]ご(たご――角桶)で汲みに来て、みいちゃん見に来て臭かつた。
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清造とか、松太郎とか、辰三・簑吉とか、名がしらの、此歌の中にあるものが一人でもあると、謡うて悔しがらせる。何でもない事の様で、讒訴に堪へられぬ憤懣を感じたものである。男の子と女の子とが遊んでゐると、
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男とをなごとあすばんもん(物)。一間《イツケン》まなかに(の?)疵がつく。
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又「男とをなごときっきっき」。痛いと叫ぶと「いたけりや、鼬の糞つけい」と言ふ。
一五 らつぱ[#「らつぱ」に傍線]を羨む子ども
十年程|此方《このかた》、時々、子どもの謡ふのを聞く。軍人や、洋服を着た学生を見ると「へえたいさん。ちんぽと喇叭と替へてんか」と言ふ。二十年前に子どもであつた私らの知らぬ、軍人羨望或は崇拝である。大正二年、阿蘇山を越して、豊後の竹田辺でも、此歌を旅姿の我々に、女の子の謡ひかけたのを聞いた。勿論、女の子の物をよみ入れてゐた。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
1930(昭和5)年6月20日
初出:「郷土研究 第二巻第一号」
1914(大正3)年3月
「郷土研究 第四巻第七号」
1916(大正5)年10月
「土俗と伝説 第一巻第一号」
1918(大正7)年8月
「土俗と伝説 第一巻第三号」
1918(大正7)年10月
※底本の題名の下に書かれている「大正三年三月・五年十月「郷土研究」第二巻第一号・第四巻第七号。大正七年八・十月「土俗と伝説」第一巻第一・三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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