い/\と音がして、棟も柱も真直ぐに起き直つた、と云ふ事である。現に、此を見て居つたといふ人が、何人か今も居る。
       五 樽入れ・棒はな
木津では若《ワカ》い衆《シユ》の団体たる若中《ワカナカ》の上に、兄若《アニワカ》い衆《シユ》と云ふ者があつた。若中《ワカナカ》に居た時から人望があつた者が、若い衆の胆煎《キモイリ》をするので、其等の家が、年番に「宿」と称して、若い衆の集会所になつたものであつた。
此|兄《アニ》若い衆は、すべて、若中を心の儘に左右し、随分威張つてゐた。祭りが近くなると、町々の「宿」の表には、四尺四方ぐらゐな四角の枠の中に、一本隔てを入れたのに、大きな御神燈を二張《ふたはり》括り附けて、軒に懸けてゐた。だいがく[#「だいがく」に傍線]に出る揃への衣裳の浴衣地は、此処で分けてくれた事を覚えてゐる。此処は若中の策源地なので、余程こはもてのしたものであつた。
ばうた[#「ばうた」に傍線]の哀訴も、此処へ提出せられる事が多かつた。町内の豪家に婚礼があると、此処に集る若い衆が、おめでたのある家の表へ空樽を積み込む。さうして、一挺幾らづゝかの勘定で、祝儀の金を乞ふ。其が憎まれてゐる家である時は、空樽の山を築き、驚くべき入費を掛けさせて、痛快とする。
若しまた、若中或は兄若い衆の怨を買うた節には大変で、更に、ばゞかけ[#「ばゞかけ」に傍線]と称する野臭の漲つた挙に出る。其は、肥桶《コエタゴ》を宴席に担ぎ込んで、畳の上にぶちまけるので、其汚物の中には蛙・蟇などが数多く為込んであつて、其がぴよん/\跳ね廻つて、婚礼の席をめちや/\にする。十四五年前、木津から半里《ハンミチ》ばかり隔たつた津守新田《ツモリシンデン》の某家から、他村へ輿入れの夜、嫁御寮を始め一同、十三間堀《ジフサンゲンボリ》といふ川を下つて了うた処が、土橋の上に隠れてゐた津守の若い衆が、其船目掛けて、肥桶をぶちまけたので、急に、婚礼の日取りを換へた、と云ふ話もある。
若中の権威は、啻に婚礼の晩に発揮するばかりではなかつた。祭りの際には、兼ねて憎んでゐる家に、棒はな[#「棒はな」に傍線]といふ事をする。此は、だいがく[#「だいがく」に傍線]の舁《カ》き棒を其家の戸なり壁なりに撞き当てる方法で、何しろ恐しい重量を棒鼻に集中して打ち当てるのだから、堪《タマ》つたものではなかつたさうである。
      
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