いふので、一家みな、一つ処にあつまつて寝る。そして、三日の夜に入つて、はじめて精進を落す事になつてゐる。家によると、よそ村から年賀に来る客の為に、酒肴を用意して置いて、家族は一切別室に引籠つてゐて、客に会はない。そして、客が勝手に、酒肴を喰べ酔うて帰るに任せてあつた、とも聞いてゐる。近年は徴兵制度の為に、軍隊に居る者が三个日の間に肉食をしても、別に異状のないことやら、どだい、だん/\不信者の増した為に、厳重には行はれない様になつたさうである。
此風習の起原は、両様に説明せられてゐる。一つは、此村はかつたい[#「かつたい」に傍線]が非常に多かつたのを、八幡様が救つて下さつた。其時の誓によつて、正月三个日は精進潔斎をするのだといふ。今一つは、ある時、弘法大師が此村に来られた処が、村は非常に水が悪かつたので、水をよくして下さつた。其時村人は、水を清くして貰ふ代りに、正月三个日は精進潔斎をいたしますと誓つた。其時、証拠人として立たれたのが、万代八幡様であつたとも伝へて居る。
二 あはしま
どこともに大同小異の話を伝へてゐるあはしま[#「あはしま」に傍線]伝説を、とりたてゝ言ふほどの事もあるまいが、根源の淡島明神に近いだけに、紀州から大阪へかけて拡つてゐる形式を書く。
加太(紀州)の淡島明神は女体で、住吉の明神の奥様でおありなされた。処が、白血長血《シラチナガチ》(しらちながし[#「しらちながし」に傍線]などゝもいふ)をわづらはれたので、住吉明神は穢れを嫌うて表門の扉を一枚はづして、淡島明神と神楽太鼓とを其に乗せて、前の海に流された。其扉の船が、加太に漂着したので、其女神を淡島明神と崇め奉つたのだ。其で、住吉の社では今におき、表門の扉の片方と神楽太鼓とがないと言ふ。此は淡島と蛭子とを一つにした様に思はれる。しかし或は、月読命と須佐之男命と形式に相通ずる所がある様に、淡島・蛭子が素質は一つである事を、暗示するものかも知れない。
処で、此処に、も一つおもしろい事がある。其は、住吉につゞく堺の朝日明神の社に就ても、同様形式を伝へてゐる事である。白血長血、扉の件は同じで、海に放たれたのを朝日明神様であるといふ。神楽太鼓の件は、此方の話にはあるかないか断言しかねる。七月三十日(昔は大祓の日)には、堺の宿院の御旅所へ住吉の神輿の渡御がある。其をり、神輿が堺の町に這入ると、本
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング