ある。江戸の歌謡類もさうで、殊に、長唄に於いて甚しい。これには、その文の一方をなしてゐる、役者の言葉が省いてあつて、地の文章ばかりだからである。日本には、かうした芸術が行はれてゐるのである。
以上説いた所によつて、大体延喜式祝詞に関する、値打ちの定め方がきまつた訣である。即、延喜式祝詞は、元の姿とは非常に、意味が変つてゐて、祝詞以外のものをも含んでゐるのである。
祝詞には、三種類の内容がある。此祝詞といふ語については、昔からいろ/\の説があるが、私は、かう考へてゐる。即のる[#「のる」に傍線]といふ事は、天皇、或は、国々の君が、神様の資格で、高い処に上つて命令する事である。此のり[#「のり」に傍線]を発する場所を「宣処《ノリト》」と云うた。即、信仰的に設けた、一段高い座なのである。此処で唱へる言葉が、のりとごと[#「のりとごと」に傍線]であつた。其を、次第に略して、のりと[#「のりと」に傍線]といふ様になつた。のりと[#「のりと」に傍線]と言ふだけで、既に其中に、ごと[#「ごと」に傍線]の意が含まれてゐるので、のりとごと[#「のりとごと」に傍線]のごと[#「ごと」に傍線]は、のりと[#「のりと」に傍線]の意味を、忘れて後の附加である、といふのは間違ひである。
祝詞は、最初は天皇がなさるものであつた。処が、日本には、代役の思想があつた為に、後、中臣が専唱へるやうになつた。天皇御自身が、既に代役であつて、神漏岐・神漏美の御言持ちとして、此国に降つてゐられるのである。御言持ちとは、その神漏岐・神漏美の命令を、伝達するものなのである。何々の命といふみこと[#「みこと」に傍線]は、此御言持ちの略せられたもので、後、尊い人を意味する言葉だ、と思ふやうになり、更に、日本紀に命・尊などゝ区別する様になつてから、元の意味は、全く忘れられてしまうた。さてかうした、代役の思想が行き亘つてゐた為に、段々、上から下に及んで行つて、遂に中臣が、専属に、天皇の仰つしやる事を代つて云ふやうになつた。かうして、中臣祝詞が出来たのである。
此と、斎部祝詞と云はれてゐるものとは、全く別であつて、斎部のものは、祝詞では無い、寿詞《ヨゴト》である。天皇の仰つしやるのりとごと[#「のりとごと」に傍線]に対する御返事、即《すなはち》返し祝詞・返り申しを古い言葉で、寿詞といふ。毎年、初春に奏する寿詞は、約束をきり
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