斎部[#(ノ)]祝詞との二つに分けてゐる。勿論、宮廷に於ける、公のものばかりである。さうすると、平安朝の宮中に仕へてゐた、昔からの伝統ある官吏、或は其部下である中臣・斎部の二家で、此宮中の祝詞を持つてゐたといふ事になる。一方地方の国々・村々の祝詞は、何処で持つてゐ、どうなつたかといふと、惜しい事には、只今では、全部滅びて了うてゐて訣らない。時々、昔の祝詞だといふものが出て来るが、大抵は、偽物である。然も其祝詞が、完全なものなので、祝詞の間違ひ方を知つてゐるものが、検査した時、その完全な点が、却つて不完全を示してゐる。
で、此地方の国々・村々の祝詞が、何故滅びたか。其は、口伝せられて、秘密であつたが為である。祝詞を伝へてゐる者が、秘密にしておいて、伝へない中に死になどして、全部滅びたものと思はれる。又昔の祝詞は、今の様に、書き物に書いて読むのでは無く、口伝へであつた故、保存せられないで、云ふ人の気持ちで変つたり、毀れたりしても滅びたのである。宮中の祝詞でも、中臣・斎部のもの以外に、まだあつた筈である。中臣・斎部のものは、表向きの、他人が聞いても差し支へないものであつて、内らの、秘密に属するものは、隠してあつた。事実、祝詞を見ると、天つ祝詞と書いてあるものも、其秘密である天つ祝詞の文章は、省いてあつた。今の人は、今日残つてゐる様な文字に書いたものが、其儘読まれた、と考へてゐる様であるが、昔は文字に書いて無くて読まれるものも、中にはあつたのである。
こんなわけで、中臣・斎部が、公に扱ふ祝詞以外に、各役所で扱うたものが、どれだけ消失してゐるか訣らない。宮中の政は皆、神様の為事で、所謂まつりごと[#「まつりごと」に傍線]であつて、それは皆、一々、祝詞や呪詞を伴うてゐたのである。消失したものゝ中でも、殊に、一番神に近い、宮廷の巫女達(平安朝では内侍)のものは、殆、無くなつて了うた。次に、此祝詞の不完全なのは、返し祝詞・返り申しの欠けてゐる事である。祝詞は唱へたゞけではいけないので、唱へられた神の返事が、必要なのである。此が、今の祝詞には残つてゐない。
鎮火祭《ホシヅメノマツリ》、この祝詞には、うつかりして、天つ祝詞を書き出してあるが、他は皆、天つ祝詞を以て申すとありながら、天つ祝詞は省いてある。省いてはあるが、文章はわかつてゐる。実に変なものである。日本の文章は、皆こんなもので
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