な効果を現す其文句は、千篇一律であつた。後には色々の工風《くふう》が積まれて、段々に、変つた文句も出て来た。此祝言が段々遊芸化し、追つては芸術化する始めであつて、喜劇的なものは可なり古くから発達し、謡などは名手は出たが、詞章の精選が、最遅れた。
千篇一律なるが故に効果のあつた祝言は、古い寿詞の筋であつた。後世の祝祭文の様に当季々々の妥当性を思はないでもよかつたのが、寿詞の力であつた。寿詞を一度唱へれば、始めて其誓を発言したと伝へる神の威力が、其当時と同じく対象の上に加つて来る。其対象になつた精霊どもは、第一回の発言の際にした通りの効果を感じ、服従を誓ふ。すべてが昔の儘になる。此効果を強める為に、其寿詞の実演を「わざをぎ」として演じて、見せしめにした。文句は過去を言ふ部分が多く加り変つて来ても、詞章の元来の威力と副演出のわざをぎ[#「わざをぎ」に傍線]とで、一挙に村の太古に還る。今日にして昔である。村人は、今始めて神が来て、精霊に与へる効果をも信じたのである。其力の源は、寿詞にある。寿詞は、物事を更にする。更は、くり返すことである。さら[#「さら」に傍線]は新《サラ》の語感を早くから持つてゐた様に、元に還すのであると言ふよりも、寿詞の初め其時になるのである。
さら[#「さら」に傍線]はさる[#「さる」に傍線]の副詞形である。去来の意のさる[#「さる」に傍線]は、向うから来ることである。春の初めの猿楽も、古くから行はれたらうと思ふが、さる[#「さる」に傍線]――今は縁起を嫌ふ――がをつ[#「をつ」に傍線]と同意義に近かつたのではなからうか。猿女君のさる[#「さる」に傍線]も、昔を持ち来す巫女としての職名であつたのではないか。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
初出:「古代研究 第一部 民俗学篇第一」
   1929(昭和4)年4月10日
※底本の題名の下には「昭和二年八月頃草稿」と書かれています。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
※平仮名が小書きになっているところは底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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