島津氏などのやり方が、大分原因になつてゐる。やまと人と言へば薩摩者。こはらしい人ばかりの様に想像せられても、やつぱり何か心惹くものがあつたらう。
おもろ[#「おもろ」に傍線]草紙の古語にも、生きた首里の内裏語《ダイリコトバ》にも、やまと[#「やまと」に傍線]の古い語が、到る処に交りこんでゐた。首里宮廷の巫女の伝へた古詞には、島渡りして来た山城の都の御曹司《オンゾウシ》の俤が語られた。島々は島々で、遠い海を越えて来たと言ふ何もりの神[#「何もりの神」に傍線]なる平家の公達《キンダチ》を思はせる名の神が多かつた。弓張月以前にも、舜天王の父を、此山城の都から来た貴公子にする考への動いてゐたことは察せられる。古く岐れた一つ流れの民族であつた事は忘れても、又かうした新しい因縁を考へねばならぬ程、深い血筋の自覚があつたのである。尤、孤島苦が生み出したいぶせい事大主義からも、さうはなつたであらうが。問題は其よりも根本的のものであつた。
島の木立ちに、仮令《たとひ》忘れた様にでも、桜の花がまじり咲いた。かうした現実が、歌や物語や、江戸貢進使の上り・下りの海道談に、夢想を走《ハ》せ勝ちのやまと[#「やま
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