られ、盆だけは変な風習として行はれて来たのだ。
此日可なり古くから、夏の最中《サナカ》にきまつて塩鯖の手土産をさげて、親・親方の家へ挨拶に行つた。背の青い魚の代表の様なあの魚も、さば[#「さば」に傍線]と言ふ名は古い。其時に持つて行く物をさば[#「さば」に傍線]と言うたから、其土産の肴までさば[#「さば」に傍線]と名をとつたとは言はれない。私は、餅も粢《シトギ》も、米団子も、飯を握つた牡丹餅も持つて行つたであらうが、皆此らは初穂で拵へたもので、此風俗のある時代流行の中心になつた地方の人々の間で、すぐ腐る餅類が大きな家ではたまつて、どうにもならないといふので、塩物でも、生腥を喜ぶ処らしく、塩魚を持ちこんだのが、段々風をなすと言ふ風になつても、やはり此時の進上物にさば[#「さば」に傍線]としか言はなかつた。其で「さば[#「さば」に傍線]と言ふのに赤鰯はこれ如何に」などゝ矛盾を感じ出して、塩鯖にきまつたのかと思うてゐる。子分・子方を沢山持つた豪家などでは、塩物屋の様に積み上げられた事であらう。「今年も相変りませず、御ひいきを」と言ふ頼みは後の事で、古くは、今年もあなたの子分です、御家来です、と誓ひに行つたのだ。其が目下の人の、齢を祝福する詞を述べる事で示されるのである。「おめでたう」などになると、短い極限であるが、其固定に到るまでには、永い歴史がある様である。
こゝまで来てやつと、前の天皇の賀正事や神賀詞・天神寿詞の話に続くことになる。あゝした長い自分の家が、天子の為に忠勤を抽づるに到つた昔の歴史を述べた寿詞を唱へ、其文章通り、先祖のした通り自分も、皇祖のお受けになつたまゝを、今上に奉仕する事を誓ふのである。さうして其続きに、そのかみ、皇祖の為に奏上した健康の祝辞を連ね唱へて、陛下の御身の中の生き御霊に聞かせるのであつた。
此風が何時までも残つてゐて、民間でも「おめでたう」は目下に言うたものではなかつたのである。「をゝ」と言つて、顎をしやくつて居れば済んだのだ。
幾ら繁文縟礼の、生活改善のと叫んでも、口の下から崩れて来るのは、皆がやはりやめたくないからであらう。「おめでたう」の本義さへ訣らなくなるまで崩れて居ても、永いとだけでは言ひ切れぬ様な、久しい民間伝承なるが故に、容易にふり捨てる事は出来ないのである。

     八

町人どもの羽ぶりがよくなる時代になつて、互に御得意様であり、ひいきを受け合うてゐるやうな関係が出来上つて来た。職人歌合せや絵巻の類の盛んに出てゐた頃は、保護者階級と供給者の地位とは、はつきり分れてゐた。職人と言ふのが、世間には檀那ばかりで、どちら向いても頭のあがらぬ業態で、他人の為の生産や労働ばかりしてゐた人々なのである。中臣祓へばかり唱へてゐる様な下級の神主・陰陽師、棚経読んで歩く様な房主をはじめ、今言ふ諸職人・小前百姓・猟師・漁人などに到るまで、多くは土地に固定した基礎を持たない生計を営む者である。上古の部曲制度の変形をしたもので、檀那先は拡つても、職の卑しさは忘れて貰はれない時代であつた。
職人の大部分が浄化せられて町人となり、町人の購買力が殖えて来て、お互どうしの売り買ひが盛んになつた。どちらからもお得意であり、売り手であると言ふ様になると、需要供給関係が、目上目下を定めて居た時代のなごりで、年頭の「おめでたう」は、両方から鉢合せをする様になる。かうして廻礼先がむやみに殖えて、果は祝福のうけ手・かけ手の秩序が狂うて来たのであつた。
其「おめでたごと」をどこかしことなく唱へて歩いた一団の職人があつた。謂はゞ祝言職である。此とても元は、一つの家なり、一つの社寺なり、隷してゐる処が厳重にきまつて居たのだが、中には条件つきで、わざ/\さうした保護の下にのめりこんで来た連中もあつて、段々自由が利く様になつて行つた。寺から言へば唱門師《シヨモジン》、陰陽家から言へば千秋万歳、社にもついて散楽者、むやみに受持ちの檀那場を多くした。ある大社専属の神人かと思へば、同時にある大寺の童子・楽人と言ふ様なのが多かつた。春日の楽人でゐて、薬師寺にも属し、其外京の公家・武家・寺方までも祝言に行く。祝言以外に、舞も狂言も謡も謡ふ。
かうした連衆の中、うまく檀那にとり入つて、同朋から侍分にとり立てられたものもあるが、さうした進退の巧に出来なかつたものは、賤の賤と言ふ位置に落ちて了うた。此階級から能役者・万歳太夫・曲舞々・神事舞太夫・歌舞妓役者などが出た。もつと気の毒なのは、とても浮ぶ瀬のなかつた者と一つにせられた。祝《シユク》など言ふのは、其である。「祝言」の一字をとつて称へられたのである。地方によつては、賤民階級の部立てや解釈がまち/\で、同じ名の賤称を受けた村でも、おなじ種類の職人村ばかりではなかつた。
だが、一度唱へると不可思議
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